キスをした。
ただそれだけを、ずっと忘れない。
例えば、挨拶のキス。親愛のキス。家族のキス。今日も生き残ったお祝いでもいいし、くされ縁に関しての憎まれ口代わりでもいい。まかり間違って恋人のキスとかでも。
とにかく、理由を後からいくらでも好きにつけられるような触れ合いを繰り返してきた。
こっそり隠れて悪いことをするどきどき感。
誰も知らない秘密を共有する優越感、罪悪感。
何も言わないままいつの間にかするようになった行為を、どこか当然のものとして受け止めていた気がする。
最初のきっかけはなんとなくしか覚えてない。
なんの話をしていたんだったか、とにかくバランスの悪い位置に腰掛けていたデュオが落ちた。すぐ下にいたヒイロが避け切れず、思いがけず急接近した、そんな感じの始まり方。
覚えているのは間近で視線が絡んだこと。
どっちから先に近づいたかなんてのは大した問題ではなくて、重要なのは二人共目を閉じたことだろう。
人肌は、気持ちいい。
そのぬくもりが安心感を与えてくれて、生きている気持ちにさせてくれるから。居場所をもらうような気がする。
人肌は、気色悪い。
自分ではない他人の体温はどこか警戒心を呼び起こすもので、正体不明のものを前にしているような気分になる。
どちらも心のどこかに常にある本当の気持ちで、でもあいつといる時には何故かどっちも感じなかった。安心でもなく警戒でもなく、少しくすぐったいようでいて酷く冷めた気持ちを抱いていた。
温かい何かがあったわけじゃないから、離れる時も特別何か言う事もなかった。
挨拶ぐらいはしようかとも思ったけど探すのも面倒だったし、何を言うか考えただけでどうしようもなく億劫だった。それがなんでかはわからなかったけど。
すれ違っただけの人間のように、そこにいたことすら嘘のように、いつの間にか消えていった。そんな終わり方。
始まりとか終わりとか、今になって考えればこういう感じだったと思うだけだ。その時には何も考えてなかった。何も。
特別な何かがあったわけじゃないし、深い意味もなかったし、何よりたった数度の出来事だった。
なのに、全てが終わって時が経って、今更ながらに何かが胸を掠めるようになった。
―――あの時、なんで……。
永遠に答えられることのない問いが生まれる。
目を閉じればあの時の感覚が甦る。
望めば、この体は細部まで思い出すことが出来る。触れた口唇の感触。温かくて、でも近い体温のせいで生じた不思議な皮膚感覚。
なのに、その時の自分の気持ちだけはわからないままだ。そして、彼の気持ちも。
何故だろう。
忘れてしまえばいいだけなのに。
何故こんなにも、胸が痛くなるんだろう。
キスをした。
それだけが…それだけを、けして忘れることが出来なかった。
いつまでも。
いつまでも。
end.
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