例えば、2月14日に二人が任務中だったとしよう。
例えば、デュオがたまたまその時手持ちの非常食をヒイロに渡したとしよう。
例えば、それがチョコレートだったとしよう。
そんな仮定の元に、今回のお話は始まるのだ。
「まいった、な」
その時ヒイロは悩んでいた。結構なところ、悩んでいた。
理由はと言えば、明日に迫ったホワイトデーという行事にどうしたものかということ。
ホワイトデー。
バレンタインデーと対になる行事。お返しの日。
ちょうど1ヶ月ばかり前のあの日、デュオが投げて寄越した物体はチョコレートという菓子だった。
別にどこにでも売っているからおかしなものではないし、非常食としてはポピュラーな感があるものだからそれについても異常事態というわけではない。
事実、あの時の自分も全く気にすることなく受け取った。食べるかどうかはともかくとして受け取らないとうるさいということをわかっていたからだ。
何気なく受けとって、しばらくしてから日付に気付いた。今日渡されるチョコレートは通常とは意味合いが違うのではなかったか?と。
そしてヒイロの苦悩の日々はそこから始まったのだ。
「…どうしたものか、な」
撤収のため荷物を整理していたデュオが底の方から探し当てた1枚の板チョコ。『やるよ』とあっさりと投げて寄越されたそれを、デュオがどういうつもりで自分に渡したのかが問題なのだ。
そう、問題なのは「理由」だ。
可能性としてもっとも高いのが「荷物整理」。ただ単に手元にあったから何気なく投げて寄越したというもの。これなら全く問題はない。
ただ万が一ということがある。
もしそれが何気なさを装ってわざわざ渡された物だったりしたら?―――考える方が馬鹿だとは思うのだが。わかっているのだが。一回気にするとそういう考えは頭を離れなくなるものなのだ。
まさか?と。
最初に浮かんだ感想は「冗談じゃない」だった。自分にそういう趣味はない。
次に冷静に考えたのは「まさかそんなことをする人間ではないだろう」。彼は男に惚れるようなタイプでも、そういった行事に想いとやらを託すような殊勝なタイプでもない。ましてや自分を相手にして。
最終的に結論づけたのは「単なる偶然だろう」。けれどゼロではない可能性が頭から離れなくなってしまったのも事実なのだ。
それを態度に表わすようなことはしなかったし、この1ヶ月の間ヒイロが悩んでいたことなど他の誰も気づくことはなかっただろう。元々ヒイロとデュオの仲は特別良くも悪くもなかったから、たかだか1ヶ月二人がほとんど接触をもたなかったとしたっておかしなことでもない。
性格上廊下ですれ違っても挨拶なんてしないから、避けるまでもなく、繋がりなんてものは皆無に等しい関係だ。二人を繋ぐ何かが存在するとしたら、それは過去ガンダムという機体に乗っていたというその経歴一点のみなのだから。
だったら別に深い意味なんて考えるまでもない。では必要ないはずのそれが何故ここまで気になるのだろう?
―――そう、それが一番の悩み所なわけだ。
最初に浮かんだ「まさか」を抹消出来ない最大の理由がヒイロの中にある。それに気付いてしまったところが過ちの始まりだったに違いない。
自分に都合のいい解釈は坂を転げ落ちるようにヒイロの精神のバランスを突き崩してくれた。
後悔先に立たず、便利にして忌々しい言葉が頭の隅を横切っていく。気付かない方が幸せなことなど世の中ごろごろしているのに。
始めはほんのちょっとした疑問だったはずのことが、自身のそんな感情の流れに気付いてしまった今とても重大な問題のように思考の大半を占めてしまう。
気になるのは、デュオの真意。
それがどういったものであるにせよ。
「まいったな…」
答えを得ることが出来る機会は多分明日のみ。対となる行事の存在する明日が答えを知るための唯一つの突破口。
「どうするか、な」
だが、手段が。
手段こそが問題なのだと、ヒイロは正確に理解していたのだ。
「あれ、デュオ?それどうしたんですか」
「ああ、さっきヒイロに貰った」
すれ違いざま見えたものに軽い疑問を感じて立ち止まったカトルに、なんでもないことのように返事が返される。
まあ確かになんでもないことだ。読みながら歩いていた資料、それを掴む手に一緒に3枚の板チョコが挟まれていただけだから。
「珍しいこともあるだろ?雪でも降るかもな」
「それはヒイロに失礼ですよ」
冗談のように言うデュオに笑って返しながら、カトルの脳裏にふと先月ヒイロが似たような様子で歩いていた姿が甦った。確かデュオに押しつけられたと言っていたような……あれはいつだったか?そう、15日の朝だ。夜明けくらいまで二人は一緒の任務についていた。
カトルの頭に、何故か何の疑問もなく1つの考えが降りてきてしまった。
「…デュオ、この間の任務のときヒイロにチョコあげた?」
「え?ああ、よく知ってるな」
「………」
「あ、そうか同じ銘柄。なにアイツ返して寄越したの?マメなやつー」
あっさりと言うデュオの姿を一瞬の沈黙をもって見つめた後、カトルは自分の勘違いに照れたように軽く首を振った。
「………いえ、まさかですよね。すいません変なこと聞いちゃって」
「カトル?」
なんだかちょっと様子の変なカトルに気付き、デュオが首を傾げた。
「ごめんなさい。そういえばバレンタインの頃だったなとか思っちゃって。本当に何気なく思っただけなんです……あ、それじゃ僕ミーティングあるんで」
そそくさとその場を去ったカトルが角を曲がって「バカな想像しちゃったなぁ」と恥かしそうに足を速めている頃、その場に残された形になったデュオは数瞬遅れでカトルの爆弾発言に固まっていた。
「……バレンタイン?」
そういえば14日だった気が。
賞味期限ギリギリだったけど食べる気がしなかったから、勿体無くてヒイロにやったんだけどそういえばあれは確かに14日。
いや問題はそこじゃなくて、今日がこれまた14日だということだ。
やったチョコは1枚。
手元に返ってきたチョコは3枚。
「ホワイトデーの3倍返しの原則って確か適用されるのは本…め………」
自分で言い掛けた言葉にさらに絶句。
頭の中を疑問符が飛び交い、いきなり放りこまれた状況にデュオはパニックに陥ってしまった。
「え、だって。でもコレ…いやでも……」
「ただの偶然だよな」、と思う自分と、「そういう事なんだろうか」、とか考えてしまう自分。
考えるまでもないと思うのに、後者を打ち消すことが出来ない。
なんでそんなことを考えちゃうんだろう、とその事こそがデュオにさらなる混乱を招き寄せる。
その混乱こそ、悩む心の動きこそが、贈り主の真の意図だと気付くことも疑うことすらもなく。
そうして「まさか」に縛られる人間がもう一人。
end.
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