デュオは、はじかれたようにヒイロを見た。
無言でデュオを見るヒイロは、最後に…一年前に会ったときと変わらず冷静だった。
言ったことはないけど、好きだった深い青の瞳。
無表情な彼の顔で一番存在感を放つその意志ある瞳は、こんな時でさえ、静かにデュオを見るだけだった。
淡々とした口調で告げたヒイロを前に、デュオは呆然と言われたことの意味を考えた。
残る弾は2発。
この部屋の周囲に人の気配はまだない。室内にいることもすぐには気づかれないだろう。時間は稼げる…だが、それは残り半分の距離を逃げ切るには到底届かないのだ。
近いようで遠い、残り半分の距離。
そして更に、それは隠し通路から通常通路に出るための距離でしかない。この基地を封鎖しているプリベンター部隊と合流するにはもっとたくさんの距離を稼がなくてはならないのだ。
ヒイロの言葉の意味を考える。
ヒイロが、弾のことを「敢えてデュオに告げた」ことの。その意味。
―――残る弾は、2発。
小さく息を吐いて表情を消したデュオは、ゆっくりと腕を上げた。
隣に立っていたヒイロの、その額に向けて。
まっすぐ銃をあげる。
ヒイロも、じっとデュオを見詰めたまま、動かなかった。
「まさかこんなとこで…とか思うけど、案外そういうもんなのかもしれないよなー…」
この状況が嘘のように思えて、硬い声でデュオは呟いた。
「さすがのオレも、お前と心中するとは思わなかったよ」
まさか、この手でお前を殺すことになるなんて。
「…っ」
一瞬考えかけたことを、こくりと喉を鳴らしてデュオは頭から消した。
ヒイロは答えない。無言のまま、じっとデュオの瞳を見つめていた。
それは、許可のようでありながら断罪のようで、見つめるデュオを追い詰める。
引き金にゆっくりと力を込める。
指に慣れた筈のその引き金が、とてつもなく硬いもののように思えた。
意を決して、全てを終わらせる力を指にかけようとした時、ふいにヒイロが言った。
「永遠を信じるものはあるか?」
「…永遠?」
「………」
指にかけた力はそのままで、デュオは思考が麻痺したようにただ繰り返した。
ヒイロは無言のままデュオの答えを待っている。
なんでこんな時にそんなことを、と思いながらも、デュオは少し考えて「信じない」と答えた。
「永遠なんてものは存在しない。オレは、そんなもの信じる程甘ちゃんじゃないんでね」
「では、永遠を望むものはあるか」
「………」
「デュオ」
言葉に詰まったデュオに、一歩踏み出すようにしてヒイロは問いかけた。
銃はつきつけたままだから、押されるようにデュオが一歩下がる。これから死ぬ覚悟をした人間とは思えないくらいヒイロは強気だ。
でもそれがヒイロなのかもしれない、と頭の隅で納得している。
「永遠を、望むもの…」
小さく呟いて、デュオははっとしたようにヒイロを睨んだ。
引き金にかけた指に、抜けかけた力をもう一度こめる。
「時間がないだろ、ヒイロ。生憎オレはお前と言葉遊びしてる余裕なんてないんだ。それともお前ともあろう者が時間稼ぎなわけ?死ぬ覚悟くらいいつでもつけてたはずだろう、オレ達は」
「そうだな。だが、敢えて聞く。俺が問いかけた時お前は何を頭に浮かべた?」
「くどい」
引き金からカチ…と音がする。あと、必要な力は本当に僅かで。
端末を叩いていた時も、この部屋に飛びこんだ時も、そして今も、ヒイロはまったく表情を変えず、いつも通りの彼だった。
そんな彼を見ているとどんどん希薄になっていってしまう現実感を、無理やりに呼び戻す。
永遠を、望むものがあるか?
瞬間的に脳裏に浮かんだのは、物ではなく者で。
「…おしゃべりは終わりだ、ヒイロ」
遠くから微かな足音が聞こえる。
時間がない。早々に二つの命を終わらせなくてはならない。
今度こそ引き金に最後に力をこめる。
今更そんな話をして何になるというのだろう?ガンダムを破棄した後、話もせず別れたのに。なのに、一瞬で脳裏に翻ったのは誰かの顔。
それは、今、目の前にあって。今、自分の手で全てを終わらせようとしているのに。
誰かを撃つときに躊躇ったことはない。
視線はターゲットからけして離さずに。僅かな銃身のブレが狙いを大きく外させるから、射撃の瞬間は腕を固定して、けして視線を離さずに。
躊躇ったことはない。だからこそ自分は死神とまで呼ばれた。
なのに、一種の躊躇の隙をつかれ、デュオの腕は弾かれた。
相手は身を屈め。
響いたのは鈍い銃声と、天井に弾の当たる音。
「…って、…え?」
何が起きたのか理解しそこねたデュオは、ふいに銃を持っているのとは反対の手を掴まれ、そのまま歩き出したヒイロに引っ張られた。
「え、…あれ?」
転びそうになりながらヒイロの後ろをついて歩いて、目を瞬かせる。
別に対立してたとかいうわけじゃなくて、自分達はこの命の始末をつけようとしていたんじゃなかっただろうか?
なんで避けられたのか理解不能で、デュオは混乱した思考のまま為すがまま、という風にヒイロに部屋の反対側の壁まで連れていかれた。
そこでようやくヒイロが足を止める。
「…あんな顔をするようなら、お前に殺されるわけにはいかない」
そこでようやく説明らしきものを口にしたヒイロに、呆けたままデュオは顔を上げた。
「え…」
本当に小さく、ヒイロは微笑っていた。
あんまり珍しくて状況を忘れてそれに見惚れていたら、ヒイロはいつも通り無言のまま何かをガコンと壁から引き出した。
「ダストボックス?…ってうわああああああああああっ!?」
油断していたとは言わないが、物凄い素早さでヒイロにそこに放り込まれたデュオは、設定された重力の下すさまじいスピードで滑り落ちた。
到着地点は思っていたよりも遠くなく、せいぜい2フロア分位の高さだった。
着地はちゃんと決めた。でもそれは反射的なもので、頭はまだ状況の変化についていっていない。
立ち上がって辺りの異臭に顔を顰めたデュオは、後から滑り降りてきたヒイロに説明を求め、きっと睨みつけた。
その視線をなんでもないことのように受け止めて、ヒイロは歩き始めた。
「ここは基地内部でも、隠し部屋になった区画だという話は聞いているか」
「ああ、知ってるよそんくらいっ」
「基地そのものはプリベンターが封鎖している。あれだけの人数が自由に出入りしているのはおかしいと思わなかったか」
「………」
それは、最初にヒイロが応戦している人数を見た時点で思ったことだ。
大規模な隠し部屋があること自体はそう問題ではない。いつ作られたにしろ、月面基地は何かと混乱の多い場所だったから、まとまった時間と資金と強力なバックさえあれば可能だったからだ。
内部にいたのが数人なら、プリベンター内の内通者を疑うべきところだ。
だが、あれだけの人数が秘密裏に出入りしていたとなると話は変わってくる。
「さっき調べてみたが、月面都市に繋がる通路がいくつかあった。ここを通ればその中の一つの傍に出るはずだ」
「傍に、ってお前な」
「廃棄施設と直結しているわけがないだろう」
もっともだが悲惨な内容をあっさり言って、ヒイロはデュオの前を迷うそぶりも見せず歩く。
その背中を見ていて、だんだんと状況を理解し始めたデュオの中で苛立ちが募っていった。そんな時間的余裕はないと解っていても足が止まる。
「…逃げるつもりなら、最初からそう言えってんだよっ!」
覚悟を試されたのだろうか?それはあまりに人を馬鹿にした話だ。
もし「そうだ」とか言ったら、このまま撃ってやると本気で考えながら、デュオは怒鳴った。
「最初から逃げるつもりだったわけじゃない」
「な…」
「リスクが大きすぎる」
直結ではない通路。移動の際に見つかるかもしれない。
相手とて馬鹿ではない、外部に繋がる通路全体が警戒されているのは目に見えている。
二人とも丸腰に等しく、突破できるかと問われれば否と答えざるをえない。
不確実な要素だらけの中、どうあっても捕まるわけにいかないなら。
いっそのこと。
「……わかってるなら、なんで」
言いかけたデュオの言葉を遮るように、ヒイロがデュオを引き寄せた。
変わらない表情、淡々とした口調。
「………………らだ」
それでも、その囁かれた内容に、デュオの中で時間が止まった。
呆然としたままのデュオを置いて、そのままヒイロは先を急いで歩いて行く。はたと我に返って小走りにそれを追いかけたデュオは、追いついて小さく笑った。
通路は狭すぎて横に並ぶことはできないから、ヒイロが今どんな表情をしているかはわからない。
それでも、きっと無理したような無表情なのは間違いないだろうと思えて、小さな笑みはどんどん顔中に広がっていく。
「ヒイロ、絶対帰ろうな」
「ああ」
「大丈夫、オレ運は悪いけどさ、悪運は自信あるからさっ」
「ああ」
「戻ったらさ、今度はちゃんとオレの顔見てさっきのセリフ言えよー」
「………」
返事がないのに笑みは更に深くなる。
『お前が、俺の永遠だからだ』
だから死なせたくないと、殺させたくないとそう言うのだろうか。
自分が頭に浮かべたのが誰か、ヒイロが理解したとは思えなかった。でも傷ついたデュオに気づいた結果がこの可能性への挑戦なのだとしたら。
ヒイロがその永遠を「信じて」いるのか、「望んで」いるのかは、知らないし知ろうとも思わない。
でも。
それでも、長いこと顔すら合わせずにいた割に、自分達って結構捨てたもんじゃないんじゃないか、なんてことを思って笑った。
「大丈夫。お前は、成功率が異様に低い任務でも生還しただろ」
それは、地球でまだガンダムに乗っていた頃で。
一番、二人が一緒にいた頃だ。
いつのことかわかったらしいヒイロは、「ああ、そうだな」と小さくこたえた。
「うわ…」
月面テロ組織大摘発事件がニュースに流れ、世間がようやく落ち着きを取り戻した頃。
政府付属病院を訪れたデュオは、一旦は集中治療室に入るような状態だった人間が僅か1週間で荷造りをしているのに呆れたような声を出した。
「さすがというか…お前ってほんっと化け物並の回復力だよなぁ…」
しみじみと呟いたデュオに、いつも通りヒイロは返事もしない。いないように振舞われるのにも慣れているデュオはその程度のことは全く気にならないが、いい加減コミュニケーションというものを覚えてもいいんじゃないかとちょっと思う。
「弾が腹貫通してたら、オレでも1ヶ月は安静にしとくけどなー」
これでも常人よりかは回復力があるはずなのだが、目の前の人間を見てると自分ってまともだったんだなとか思ってしまう。
「何か用か」
「ああ、オレそろそろL2に帰るからさ。その前に見舞いでもと思って」
作業が完了したのか、ヒイロがようやく顔を上げて声をかけてきた。
それにデュオは嬉々としていかに自分が忙しい身なのかをしゃべり始める。実際、戦後処理の時代のサルベージなんてものは物凄い大繁盛なのだ。
色々な場所を点々としたデュオだったが、最後に古巣のスイーパーに戻ったのは、サルベージという仕事が魅力的で楽しかったからだ。
腕がいいから仕事も早いし、二週間も空けていた現状に他の人間から悲鳴が上がっている頃だろう。
「レディから報酬も貰ったしね」
事前に『期待していろ』なんて言われていた上、『準備に少しかかってな』となかなか支払って貰えなかったのだ。
あれだけ死ぬ思いをして数日入院するはめになったのだから、それ相応の額が入っていると思って間違いないだろう。
小さな茶封筒に入れられた紙片は小切手か振込完了明細か。
生憎、今日はまだ口座の方を覗いてないから振込まれてるかどうかもわからない。
嬉し気に封筒にキスをしたデュオは、それじゃあ、と病室を後にしようとした。
「そういえば」
「…と。なに?」
出て行きかけた足を止めて振り返る。
珍しくヒイロがなんか言うようだ、と思って見ていると、ヒイロはちらりとデュオの手元の封筒を見た。
「言っとくけど、やらないぞ」
「別に欲しいわけじゃない。…レディ・アンから俺への伝言を言付かっていたそうだな」
「あ…あー、そうだった、悪い」
「数日前見舞いに来た。その時に聞いたから構わない」
言われてみればそんな話をしたっけ、と頭をかいたデュオに、ヒイロはあっさりと答えた。
「ふーん…そういや業務規定違反って、お前何やったんだ?」
「大したことじゃない。それに、多分そろそろ解決される」
「……ふーん?」
よくわからないなけどまあいいか、と思いながら相槌をうち、デュオは今度こそドアを開けた。
ああ、そういえば。ふと考える。
こうして次に会うのは、何年後なんだろうか。
胸に訪れるのは一抹の寂しさ。
でも、別に何かの約束をするつもりもないし、生きてさえいればこんなこともまたあるかもしれない、と思い直す。
そう、きっと。お互い生きてさえいれば。
じゃあな、と笑顔で足を踏み出す。
今考えたことなんて、絶対に表情になんて出さないで。
「その封筒は、おそらくポートに着く前に開けた方がいい」
「?」
ドアを閉める直前に聞こえたヒイロの言葉に、首を傾げながらデュオは病院を後にした。
「早期退院について咎めるつもりはないが…早々に仕事というのはどうかと思うぞ」
「報告書が未提出だ」
自主退院したという報告が入った早々にデスクで端末を叩いている姿を発見されたヒイロは、苦笑する上司に顔も向けずに答えた。
癖のある部下は多いが、ここまで不遜な相手も珍しい。レディはやれやれ、と溜息を吐いた。
「業務規定の件だが、手は打っておいた」
「そうか」
「説得は任せる」
「…ああ、そのつもりだ」
「まあ、私としても悪い話ではない。何しろ、手が足りないからな」
いたずらっぽく笑った彼女は、無理はせず早く帰るように、とだけ言い置いて去っていった。面白がられているのはわかるが、不思議とそれは不快ではなかった。
「…さて、どうしたものか」
落ち着いて話すなんて芸当が出来ない相手だ。その前提で頭を悩ませる。
説得、なんて芸当が果たしてあの口から先に生まれてきたような奴相手にできるのかどうか。
だが、しかし。どうあっても。
「……遠を、望むなら。手を伸ばさないわけにはいかない」
誰に聞かせるわけでもなく呟く。
ただ生きるのではなく、生にしがみつくと決めたあの時。
同時に、それを心で誓った。
引き出しから取り出したディスクがカチャ、と音をたてて端末に飲み込まれていく。
入れてあったのは月末期限で整理する書類で、本当ならわざわざ今日やる必要もないものだ。
なにせ、あと数時間はここで待つ必要がある。
物凄い剣幕で怒鳴り込んでくるだろう姿を想像して、ヒイロは小さく笑った。
そこから先は、自分次第だ。
「ああ、そういえばなんかヒイロが言ってたっけ」
シャトルの搭乗手続きを終え、ゲートに向かって歩きながらデュオはふと思い出したように封筒を引っ張り出した。
別に明細くらいシャトルの中で暇な時間にでも見ればいいと思っていたのだが。思い出した以上気になって、手近なベンチに座って開けることにする。
糊付けされた部分を剥がして、中に入っていた数枚の紙片を手に取る。
それが予想していたような1枚の紙ではなかった時点で、嫌な予感がした。
「………」
最初に読んだ1枚で、デュオは絶句した。
慌てて2枚目を読む。3枚目、4枚目をざっと読んだ時点で、デュオは事の次第を悟り、ぐしゃ、と手に持っていた紙束を握りつぶした。
「あ…んの野郎――――――――!」
最初の紙に書いてあったのは、スイーパーズから既にデュオの退職手続きが完了されていることと、プリベンターへの任命についてだった。
そして、2枚目以降は全て就業規則の一部抜粋だ。
その中の一つの項目には赤線が引いてあった。
――第38条3項目 任地での活動は必ず二名以上で行い、特例を除き単独での行動を行ってはならない。
いかにもというように引かれた赤線、レディの「業務規則違反」の伝言、そしてさきほどのヒイロの言葉。極めつけは、紙片の最後にレディの手書きで『詳しいことはヒイロに聞け』とある。
スイーパーズの件はとりあえず置いておく。上同士の話し合いなど知ったこっちゃない。それより、問題はこれが『期待すべき報酬』として渡されたことの方だ。
裏でヒイロが糸を引いたのだ。
間違いない。
「なぁーにが、『多分そろそろ解決される』だよっ!」
デュオは荷物を引っつかんで走り出した。
レディを使って、勝手に人の身柄を買いうけたのだ。そう、自分の知らないところで、勝手に。しかもおそらく相方なんてものにするために。勝手に。
報酬の用意に日数がかかるはずだ。
住居から手当てから、確かに相当な内容が用意されていた。その全てを受け取るかとかプリベンターに所属するかとかはともかくとして、とにかく勝手に事を運んでいたことが何より許せない。
「絶対、謝らせてやる…!」
ポートからプリベンター本部までの移動に数時間。
待ち構えていたヒイロが、デュオを迎え撃ったのは言うに及ばない。
end.
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