遅咲きの桜



足元で水がぱしゃんと音をたてる。
遠く響く波の音。寄せて返す単調で、なのに深く複雑な響きのそれは暗闇の中自分という存在の異質さを酷く浮き立たせる。
繰り返す音の中、自分が歩く時だけぱしゃんぱしゃんと別の音が混じる。
足元ではまだ青く見えるのに、遠くでは暗闇と溶け合うように漆黒に塗りつぶされた海。
「………」
足元で、水がぱしゃんと音をたてる。
逃げるように流れて行く砂の感触を味わいながら夜の海で散歩。笑いたくなるようなくすぐったい感触。
そんな一人遊びの中、デュオは何かに気付いたようにふいに顔を上げた。
さっきまでより周りが明るい。雲が切れて、月が出た。
まだ満月にはほど遠い猫の爪と呼ばれてしまうような月でも、ないよりは遥かに明るいものだ。
「…綺麗だな」
口元に浮かんでいた笑みが自然と深くなる。
素直に綺麗だと思えるものは大事だ。そんなものがとても多いから、この地球を美しいと思える。
宇宙から見たこの星に懐かしさは感じずともこの大地の上にあれば嘘のようにそれを感じる。
それが人間の本能だというなら、それはそれでなんだか面白い。
「なんか得しちゃったな」
ご機嫌な口調でデュオは足元の水を蹴り上げた。月明かりできらきら光る水飛沫の向こうに真っ白い花のかたまりがある。
本来の目的物だったそれにデュオは楽しげに目をやった。
「やっぱ夜桜サイコー♪」
満開の桜というのはそれはそれで威圧感があるが、散りかけたそれは威圧感というより儚さを感じさせる。
見上げれば美しい、と素直に表せる大きな、でも1つ1つは小さな花。
朝、昼、夕、夜と趣きを変えると言われるそれの、デュオの好みは「夜」だ。
「あー、やっぱ来て良かったー♪」
「………30分経過した。行くぞ」
ご機嫌なまま噛みしめるように呟いたデュオの言葉に、あっさりとしたヒイロの声が被る。
こちらはすぐ傍の波のかからない砂の上できちんと靴を履いたままだ。
「ぶー。もうちょっと」
「黙れ。どうしてもと言うから寄ってやっただけだ、明日の任務に差し支える。行くぞ」
「えー、いいじゃんあとちょっと…。………」
俯いていたデュオが勢い良く振り返った。
文句を言おうと大きく開いた口が、何か言いかけて力を失ったように再び閉じられる。
どうせまたわめき出すんだろうと予想していたヒイロは常と違うデュオの様子に瞳を細めた。
「………」
「…………月…」
視線で問われて、少しぼんやりしながらもデュオが答える。
さらに視線で問われて、今度はちゃんと視線をヒイロと合わせて、デュオは答えた。
「月とお前の後ろの桜の木、この角度だとばっちり被るんだ。凄く綺麗」
ヒイロがまだ見る気かと呆れた顔をした。そのまま車へと踵を返す。先に戻るつもりだろう、その上遅れたら置き去りの線も捨て難い。
「あ、あ、待てってばもうちょっと!」
「………」
ヒイロは答えない。デュオは頬を膨らませて彼の方向に水を蹴り上げてやった。当然、届きはしないが。
ヒイロの背中が小さくなっていって、階段の方へ消えるまでしばらく見守ってからデュオはもう一度海面へ視線を戻した。
散り落ちた桜の花びらが漂っている。それは今も風さえ吹けばデュオの上にだって降りそそぐ。
「………」
月の光。桜の花。静かな波の音。
小ぶりであまり人目に晒されない湾の中で存在している小さな世界。
もう一度、振り返る。
月と被って輝きを増した桜。大輪を思わせる花が明るく輝き、光を透かし、けれどはらはらと舞い落ちる。
強くはない風の中、花吹雪なんてものではなくて。けれど真下に落ちるでもなく、ゆるやかな風に舞う花びら。
そんな綺麗な綺麗な景色の中、あの瞬間にデュオが一番きれいだと思ってしまったのは、そんな景色を背景にした…。
「………。オレも相当、重傷かねー」
まあ、いいか。
デュオは口元に深く笑みを刻んだ。
そろそろ夢の国から現実へ帰ろうか。美しい花よりも、海よりも、月よりもきれいと思うもののところへ。
「本当に置いてかれたらシャレになんないし」
アイツならやりかねん、と呟きつつ、靴を取りにさくさくした砂の上を歩く。
先程から変わらないリズムで響く波の中、桜と呼ばれる花に背を向けてデュオは車へ向かって走り出した。


―――な、な、あれ何て言うの?
―――桜だ、知っているだろう。
―――別に。お前の声で教えてもらいたかっただけ。
―――………。
―――でもって、今の声の感じからするとお前あの花好きだろー。
―――……………。
―――そろそろ付き合い長いし♪

花は、毎年咲き続ける。

                                          end.




COMMENT;

桜の時期を過ぎてしまいましたが、今年の桜小説です。
「遅」いのは桜ではなく掲載時期でした…でも今年も桜を題材に1本位書きたかったのです(;w;)
海と桜、というのは某方のメールにあった情景で、そこから「月と海と桜ヒイロだったらとても素敵」と思いこんな感じになりました。
やはり桜というとヒイロ、向日葵というとデュオを思い出すのです。


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