目に焼きついてはなれない一瞬がある。
多分こうなってしまうことを、自分はどこかで知っていた気がする。
「……ってぇ…」
暗闇の中、荒い自分の呼吸音を他人事のように聞きながら吐き出すように呟く。
腹を中心に殴られた傷は、深くはないだろうが鈍く断続的な痛みを訴える。
過度の疲労と睡眠不足、栄養と水分も極度に不足している。当然体力は底をついているし、おまけに加えられた暴行のせいで自分の体重を支えることすら叶わない。
独房というより倉庫めいた、小窓ひとつない暗闇の中、床に投げ出された体勢からデュオはなんとかよりかかるように壁にずり上がった。
「遠慮ないね、全く…」
当たり前のことを、さも嘆くように呟いてみる。
もう、残っているのは気力だけだ。すり切れそうな精神を支えるためだけに、無意味な体力消費をしてみせる。
悪態だって、うめき声だって、言える内に言いたいだけ言ってしまえばいいのだ。
もしかしたら盗聴器位しかけてるかもしれないが、別に聞かれて困ることはない。敢えて無言でいるなんて、そんな片意地はる必要はない。
弱ってみせたりはしない。あくまでも自分のペースで、言いたいようにやりたいようにやるだけだ。
デスサイズの自爆装置が作動しなかったとき。
あの時、きれいに死ねないだろう覚悟は決めた。
あとはいかに影響を残さない形でこの体を始末するかを考えるだけだ。
(……本当は。デスも連れて行ってやりたかったんだけど)
おそらくそれはもう不可能だろう。まあ、自分の公開処刑とやらに比べればガンダムの持つ意味は多少低くなる。優先順位をつけるならこの身の始末が先だ。機密は暴かれるべきではないが、それでもそれは一部に過ぎない。本当の機密はパイロットの内にこそある。
そう、この命をOZとコロニーの結束とやらの為に使われるわけにはいかない。
優先順位の一番は自分の命を絶つこと。そしてできれば、身体もなんとかしたい。顔の判別がつかなかったり、見るに耐えないような、そんな死に方。公表なんて絶対出来ないような。
デスサイズと一緒にそんな死に方をする筈だったのに。愛機だけはこの世に残してしまうことになる。
だから、本当は。
こんな事態をも想定して、宇宙を彷徨う前に機体は捨てなければならなかった筈なのだけど。
自分にはそれができなかったのだから、これはもうどうしようもないことなのだ。
シンガポールの宇宙基地で、カトルと五飛と別れたのがもう何日前のことなのか、狂ってしまった体内時計では判然としない。
だが数日以上経過していることは確かだ。
―――わかっていた。
自分が正しいと思ってしていることがコロニーの総意ではないことも。
武力を行使することによって、どんな反発を受けることになってもおかしくないことも。
正しいと信じることがもしかしたら正しくない可能性も、正しかったとしても否定される可能性も十分にわかっているつもりだった。
誰かに理解と賞賛を与えられたくてやっていたわけでもなかったのに、それでも実際に否定の言葉を与えられたとき、目の前は真っ白になった。
声明を出したのはL2コロニー郡、あの状況の中どんな組織も自分を支援したり匿うことはない。宇宙に逃げ場はない。
わかっていたが、あの時の自分には宇宙へ出る以外道はなく、そしてたった一つ手元に残ったガンダムを捨てる勇気を持てなかった。
それは、まがうかたなき自分自身の弱さだった。
そう。全てわかっていたから、だから、この状況は為るべくして為ったのだ。
後悔がないと言えば嘘になるけれど、それでもその中ではまだ上等な方かもしれないとも思う。
だってまだ、死に方は自分で選べるのだから。
機体の方は……実は、あまり心配はしていない。
軍事兵器としての意味合いはもう薄れてきてしまっているし、重要なデータを残してしまってるわけでもないし…。
象徴としての意味合いで何かされそうな気はするけど、もしよっぽどの事態になったらまだ他に4人いるわけだし。迷惑と危険を押し付けられる側は溜まったものじゃないだろうが、この際強制的に置き土産とさせて頂く。
後のことはわからないから、生きている今この時信じて祈ることが、自分の出来る精一杯。
「…ぃ!ってて……」
その『破壊工作』にきそうな人物として真っ先に頭に浮かんだ顔に思わず笑ってしまったデュオは、腹筋と引き攣れた皮膚の痛みに呻いた。
息を止めることで宥めながら、ふいに思い出した人物に思いを馳せる。
例えば、もし自分がこの命の始末に失敗したとき。
例えば、デスサイズが何かに利用されそうになったとき。
真っ先に現れて任務遂行に務めるだろう彼と最後に話したのはもう数ヶ月前のことだ。
あの時、まだ季節は夏だった。あれからもう長い長い時間が流れているような気がする。なんて遠くへ自分は来てしまったんだろうと思う。
目に焼きついてはなれない一瞬が、ある。
あれは、彼と初めて会ったときのことだ。発砲した自分に向けられた敵意の眼差し。
ターゲットを見据える自分の視線と、自らを負傷させた人物を確認するために向けられた彼の視線と、本当に一瞬だけ鋭く絡んだ。
距離があったが、それは吸い寄せられるような一瞬だったから瞳の色すら見て取れた。
鋭い視線。
目に焼きついてはなれない一瞬。
特別な理由もなく、一瞬だからこそなお鮮やかに記憶に刻まれた、あの時。
彼を思い出すとき、必ずと言っていい程よみがえる記憶。
忘れられない一瞬。
…そうだ、後悔はない。ただ、心残りがひとつだけ。
―――できる事なら、もう一度だけ…。
それが叶わないだろうことは、絶望的な程にわかっていたけれど。それでも、そんな願いでほんの少しだけ気力を満たしながら、デュオは次の尋問に備えるため目を閉じた。
光を背にして現れた人物を見たとき、なぜ、とか、どうして、という疑問よりも、ああ、やっぱり、と思った。
「お前って本当に神出鬼没だなぁ〜……」
痛みと熱で定まらない視線は、向けられた銃口よりもその先の瞳に向けられる。
逆光でその表情はよくわからない。
でも、欲しかった眼差しを得ることができたから、デュオは静かに目を閉じた。
運命的だな。呟く口唇は、自然と笑みのかたちが刻まれていた。
end.
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