雨桜



さらさら、さらさら。
水の流れる音がする。

地下鉄から真っ直ぐ伸びた道を歩けばやがては桜の並木が顔を覗かせる。
霧のように吹きつける雨がじっとりと空気を重くし、纏わりつくその感触が 人を不愉快にさせる、そんな夜。
霞のように視界を覆う桜の花々は少し見頃を過ぎていて、花を落とした枝が 端々から覗くその姿は、今の状況と相俟ってそれだけで憂鬱な気持ちにさせる。
やがて葉桜となり青々とした涼しげな姿を見せるとわかってはいても、だ。
何のあてもなくふらりと家を出て、何のあてもなくさ迷い歩く。
湿気をたっぷりと吸った長い髪が鬱陶しいけれど、帰る気にはなれなかった。
あそこへ戻れば、きっと何事もなかったかのように受け入れてくれると わかっているから、なおさら。
無口で無表情で無愛想で、無神経なくせにどこかで人の心に敏いから、何も 言わずにタオルでも差し出してくるんだろう。
予想できてしまうからなおさら、帰りたくない。
―――『帰る』。
いつのまにか自然とその言葉を想起するようになった自分に吐き気がする。
別になんてことはない、定期的に訪れる鬱のようなものなんだろう、これは。
今の自分に納得していない。
誰かの傍に落ち付く自分。時々殺したくなる。
こんな自分をきっとヒイロは気付いてもいないんだろう…案外「普通」に 容易く馴染んだ彼には思いも付かないだろう。
じっとりとした空気の中、重苦しく色を変えた桜の花が散る。
通行人に踏みしだかれ、とうに色を茶黒く変えた他の花びらと一つになる。

ああ、そう言えば。桜の下には死体があるんだっけ。

ふ、と昔何かで聞いた言葉を思い出す。
もちろん実際埋まってるなんてことはないわけだが…でも。
「オレを埋めたら…そうしたら。お前みたいに、なれるかな」
手近にあった幹にこつんと額を預ける。
こんなにも綺麗で、禍禍しいくらいで。
なんだか羨ましい。

さらさら、さらさら。
水の流れる音がする。

さらさら、さらさら。
命の水が。

体を流れるこの水が、目の前の木と一つになったらどうなるのだろう。
……やっぱり、醜く歪めてしまうのだろうか。
後ろ向きだとわかっている。けれど考えてしまう様々なこと。
自分を追い詰めて、でも誰にも言えない。
離れる事も出来ない。
「オレも馬鹿だよなぁ……」
受け入れるか、捨てるか。選ぶ自由はあるというのに。
選んでいるのに、こんな戦争に狂った自分は離れなくちゃいけないと。
「でも、それでも。どうしても、傍にいたいんだ…」
オレは、どうしたらいい?
訪ねても、答えが返る筈もなく。
ただ纏わり付くように沈む夜だけが辺りを包んでいた。

                                          end.




COMMENT;

ちょっと暗くなりました、雨の桜です。
きっとヒイロがなんとかしてくれるのでデュオの先行きは安泰ですから、ご心配なくv
この話が浮かんだのは桜の散り欠けの頃、雨がじっとりと重い学校帰りのことでした。
もう1ヶ月以上経ってしまっているのですね…。早いものです。


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