指を滴り落ちる赤。
消えがたい肉をちぎる感触。耳に残る骨の折れる鈍い音。
手に残るのは、引き千切られた翼の残骸だけ。
元は純白の輝きを放っていたそれは血に濡れて、二度と羽ばたくことはない。
「馬鹿だよ、お前…」
苦悶の表情一つ見せずそれを受け入れた彼に呟き、デュオは目を閉じた。
『この戦いが終わったら、俺の翼をお前にやる』
確かにそんな言葉を聞いたことがあった。本気ととるには突飛すぎて、冗談と言うには真剣に過ぎるヒイロの言葉。
あんまり驚いて、それになんて返したかは記憶に残っていない。
純白のその翼は天使族の誇りだった。
神が失われた後もその輝きが消えることはなかった。この次元に存在しながらも、別次元の存在だと言われる神秘の象徴。
自分に執着しないヒイロが、それでも他の天使族同様その翼を愛しんでいたことをデュオは知っている。
天使のヒイロ、人間の自分。
流れる時間の違いは理解していたし、それをどうこう言う気はデュオにはなかった。
いつか自分が先に逝く、それだけのことでしかない。
だからヒイロが本当にその言葉を実行に移すとは思ってもみなかった。
バロックガンの残した爪痕が世界から薄れ、ようやく一息ついた矢先にそんなことを言い出すとは、考えたこともなかったのに。
「…後悔したって知らないんだからな」
「くどい」
「それ位でちょうどいいんだよ。だって、お前さぁ…」
繰り返す否定の言葉に、ヒイロが不快気に眉を寄せる。
ああ、どうしよう、と内心思う。
止めても、止めても、ヒイロ決意は揺るがない。
本気でその翼を、天使族の証を捨てるのだと。捨てて人になるのだと。
―――それは眩暈がするほど甘い誘惑だ。
「再生なんてしない。何より痛い」
「ああ」
「考えなおせよヒイロ。オレはそんなの…」
「望んでいる、だろう?」
言おうとしたのと全く逆のことを囁かれ、デュオは言葉を飲みこんだ。紡ごうとした否定の言葉も喉の奥で止まってしまう。
「約束だ、デュオ」
「………」
何か言わなくちゃ、と思う。
「俺の翼をお前にやる」
「………っ」
確たる意志の元落とし込まれる囁きに流されそうになりながら、何か言わなくちゃならないと思う。思うのに、言葉は浮かんでこなかった。
これは誘惑だ。同じ時間を生きようという、甘い囁きだ。
その甘さにデュオは抗えない。けれど、代償の大きさに抗わねばと思う。
思って、必死で言葉を探す。
……だが、必要な言葉は何一つ浮かんでこなかった。
「……デュオ」
「………」
ゆっくりと、デュオはその翼に手をかけた。あたたかなやわらかなぬくもりに触れる指が震える。罪の予感に指が震える。
促すような視線と途惑いと望みの狭間で、涙が頬を流れ落ちた。
力を込める瞬間、あの時なんと返したか思い出した。
『そしたら、ずっと一緒にいられるかな』
夢をみた。翼が失くても生きる時間は変わらないと、二人とも知っているのに。
わかっていても、夢をみた。
end.
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