いとしいとしというこころ (ああ、ついにこの時がきた) 慣れてしまった作り笑いを顔に浮かべて、見慣れた仏頂面をからかいながらデュオは心の中でだけ深い溜息を吐いた。 重い重い一息だ。 胸が酷く痛むが、それを誰かに悟らせるような愚は犯さない。 他人の機微に鈍いヒイロや五飛はもとより、聡いカトルや意外に鋭いトロワにだって絶対に気づかせない。今までずっと成功していたそれを今更崩すようなことはしない。 ―――ヒイロに好きな人が出来たらしい。 彼に信頼されていない自分だから、こんな風に皆が当たり前のように知っていたらしいことも知らなかった。付き纏ってる分一緒にいる時間は誰より多いつもりだけど、心はいつだってとても遠い。 好きだと気づいた時点で、望みがないことはわかっていた。 だから覚悟はとっくにしていた。 人間らしい感情に乏しいヒイロだが、表現するのが苦手だったり本人の自覚が薄いだけで、感情そのものが無いわけではないことを知っている。 だから覚悟していた。いつかこんな日がくるだろうと。 覚悟していると、思っていた。 (まずい、眩暈がする) 殺意で。 聞いた瞬間思ったことは、殺してしまいたい、ということだった。 自分の為に、彼ですら気づかないような完全犯罪をしてしまいたい。 ここでこんな発想が浮かんでしまう辺り、自分の手はやはり赤いのだろう。それは今まで生きるためだったり誰かのためだったりしたけれど、こんな私欲の手段としてそんなことを思い浮かべてしまう自分はやはり血に汚れ塗れているのだ。 そう。そんなこと出来るわけがない。 いなくなってしまえばいいと思うけれど、そんなことしたって幸せになれる人は誰もいない。そんな可能性はないが、例えばそうすることによってヒイロが自分を好きになってくれるのだとしてもやっていいことではない。皆の信頼だって裏切れない。何よりヒイロが悲しむことを出来るはずがない。自分自身そんなことをして胸を張って生きることも出来ない。 結局出来るわけがない。 なのに、そんなことを一瞬でも考えてしまう自分はやっぱり汚いし醜い。 そんな自分がふさわしくないことなんて、誰に言われるまでもなく自分が一番よくわかっていた。 好きだと気づいた時点で、望みがないことはわかっていた。 だから覚悟をしていた。 「んー。身近な人ねぇ。なんだよお前ら、オレだけ仲間はずれかよ!」 でも、叶うことならば一秒でも長く。 「ズルはだめだよデュオ、僕たちだって直接ヒイロに聞いたわけじゃないんだから。でもね、わかっちゃったんだ」 誰よりも傍で、ずっと、見ていたかっただけだった。 「今度こそ最後だな、相棒」 爆風を避けるため起爆は距離をとってから行った。 ドーリアン外務次官の誘拐から始まった一連の事件の後始末が落ち着いた頃、最後の葬送は静かに密やかに行われた。 選んだのは、最初のように太陽に送るのではなくパイロット自らの手での破壊だった。今度こそ苦楽を共にした彼の相棒は永遠に眠ることになる。 指で押したスイッチは軽くて、とても軽すぎて実感はまだわかなかった。 それでも破片のちらばる場所へ足を進めれば、金属の焦げる独特の臭いや火薬の残り香が嫌でも現実を教えてくれた。 ガンダニウム合金の破片なんて超硬度のものが四方に飛び散っても危ないから、火薬は必要最小限に抑えた。周囲を森と山に囲まれた自然の要塞は目論見と計算通りある程度の範囲に残骸を残してくれたようだ。 足元には大小様々な破片が散らばっている。 もう少しすればカトルの命を受けたマグアナック隊が回収にきて廃棄処理されるのだろう。 「……」 足元にあった破片のひとつを拾って太陽にかざした。 いい天気だ。 (別れの日にはちょうどいい) 黒い塊は太陽の光を受けて鈍く光る。破壊の象徴のような存在だったはずなのに、今では指で摘まめてしまうことが少し不思議だった。 小さく笑って摘まんだ一欠片を地面に落とす。大地はそれを音も無く受け止めた。 汚れた手を軽く払ってその場を後にしようとしたとき、ふいにデュオは自分以外の誰かの気配を感じて振り返った。 「拾わないのか」 「ヒイロ?」 見慣れた仏頂面が見ていたのはデュオが地面に落としたガンダムの欠片だった。 服の端々から見える白い色に、デュオはそういえばこいつはまだ病院で治療中のはずじゃなかったっけと思ったが口には出さなかった。どうせ自主退院してきたのだろう。いつものことだ。 戦闘中に別れて、一度病院に顔を出した時にはまだ薬で眠らされていて、長い間碌に話もしていなかったから久しぶりに会うような気がした。 (ああ、そういえば) 元々、休暇だと言ってデュオを訪ねてきていたのだ、ヒイロは。 珍しいこともあるもんだと笑って迎え入れた矢先の誘拐事件だった。その後はばたばたしていてすっかり忘れていたがそもそも彼の用事はなんだったんだろう。 戦後一年、彼からデュオを訪ねてくるなんて初めてのことだった。 「おい」 「へ?…ああ」 考えこんでしまったデュオの意識を引き戻したのは不機嫌そうな声だった。 ヒイロの存在を半ば忘れかけていたデュオは慌てて言われたことを思い出す。大事なことでない限りヒイロは同じことを二度は言わない。 「拾わない、ってコレのことか?」 デスサイズのパーツを見ながら首を傾げる。 何を聞かれているのかさっぱりわからない。 「相棒だと言っていた。お前にとっては大事だったんだろう」 「…まあね。でもなんだかんだ言ってお前だって大事にしてただろ」 ゼロのことも、ウィングのことも。 「多分、それと同じだよ」 それは形にして遺すものではない。 デュオは笑ってそう言った。 意外に思ったのかもしれない。ヒイロの顔は少しだけど不服そうで、そんな風に表情に出すようになったヒイロにデュオの顔が緩む。 長い時間をかけて、本当に少しだけど近づいた距離を感じた。 彼と想い人の話のその後は知らない。 極力その話には関わらないようにしている。 周りの聡い面々くらいにはそろそろ気づかれてるかもしれないと時々思う。でも何も言わないでいてくれるのは、きっと見守ってくれているのだろう。自分は恵まれている。皆、やさしい人ばかりだ。 胸の痛みは消えないけれど、今だってこんな時には「好きだなぁ」なんて思ってしまうけれど、隠したまま、いつかは彼の幸せを祝ってあげることだって出来るだろう。 思い出に出来るその時まで、何も言わないし彼に気づかせるつもりもなかった。 「あ、でももしお前が欲しいものあったら持ってってもいいぜ。お前ってば二回も世界を救った英雄様だしデスも感謝してるだろうし。なんか必要だったら」 「必要ない」 「…まあそうだろうな」 元々その返事を予想していた。肩を竦めて笑うと、デュオはもう一度辺りに散らばる破片を見回した。 太陽の光と茂る緑に黒い破片はよく映える。 「ああ…、ひとつだけあった」 「?何が」 「欲しいものがあるかとお前が聞いたんだろう」 「あるのかよ?!…え、まあ確かに言ったけどさ」 本当に欲しがられるとそれはそれで、と矛盾したことを考えながらデュオは彼の次の言葉を待った。 ヒイロが周囲を見回す。 「何でもいいんだろう?」 「うん…まあ」 「XXXG-01D2、ガンダムデスサイズヘルカスタム。『彼』のパーツなら何でも構わないのか」 「だから何でもいいよ」 何で何度も同じことを確認するんだろう、とデュオは思った。 ヒイロにしては珍しいことだ。 よくよく見れば普段から硬直したような仏頂面が、更に強張っていた。お前どうかした?デュオが疑問を口にしようとした瞬間、ヒイロが宣言するように呟いた。 「お前」 「…は?」 多分、デュオが腹の底から出した声は状況的には全く相応しくないものだった。 ぽかんとしたデュオの腕をヒイロがぐいっと引っ張る。 「聞こえなかったのか。俺はガンダムデスサイズのパイロット、デュオ・マックスウェルを要求する」 大事なことでない限り、ヒイロは同じことを二度は言わない。 しかし真面目な顔で淡々と言われた言葉を、デュオの頭は理解できなかった。 「…ヒイロ?」 その音を口にのせるだけでも甘い。 どきどきする。心臓の音が大きくなっていくのを自覚しながら、デュオは理解できない言葉を頭のどこかでは理解してしまって混乱していた。 間近にある顔は真剣そのもので、そういえば彼は数日前デュオを訪ねて来たとき同じ顔をしていたことを思い出す。 雲の位置が変わって、黒い破片が太陽の光を弾く。 腕を掴む手には白い包帯が巻かれていて光を反射してきらきらと光っていた。 返事を待つように見据えてくる瞳は深くて青くて、そんな彼の後ろに見える空も負けないくらいにきれいな青だった。 ―――ああ、今日は本当にいい天気だ。 場違いなことを考えるデュオの顔は真っ赤になっていて、それこそが返事に相違なく。自分の言葉の与える影響に緊張していたヒイロは、ようやくほっとしたように息を吐いた。 恋とは、乞うるものだ。 それはきっと、いつの時代も、誰しも同じように。 そして、正気に返ったデュオの驚愕の叫びがあがるまで、掴まれた腕が離されることはなかったのだ。 end. |
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2008年の1212企画景品その1です。 |