夜が星をしたがえて



暗闇がもたらすものはいつでも己の精神状態に依存している、とヒイロは思う。
敢えて言葉にするならこれは増幅装置のようなものだ。
そこに包まれることに安寧を見出すこともあれば、飲み込まれる恐怖を味わうこともある。恐ろしくて逃げたいと思うこともあれば堪らない魅力を感じることもある。闇は無意識の意識を表層へと引き摺りだす、媒体だ。
そうとなれば話は簡単で、自らの精神を鍛えていれば闇は闇でしかなくなるのだ。
影響を最小限にすることで精神の安定は保たれる。そういった訓練も、彼は過去に体験していた。
そもそもとして人生の半分は闇の世界だ。夜がきて朝がくる、地球という惑星に生まれた人類という種である以上そこから逃れることは出来ない。
ならばこの暗闇はとても慣れたものの筈で…自らコントロールできるものの筈で。
(…デュオ)
彼は音にならないよう細心の注意を払ってくちびるを動かした。
闇の中、繋いだ手の先に彼がいる。


このコロニーでふいに空白の時間が出来たのは偶然だった。
目的地へのシャトルの動かない『一晩』という時間は、どこかへ移動するには短く何もしないには持て余すという、絶妙に微妙な余暇だった。
ああ、そういえばここには彼がいるのだ。と思い出したのもまた、意識してのことではなかった。
アポイントは取らなかった。
既に引越していたり留守ならばそれで終わり。訪ねたという事実ごと無かったことにしてしまえばいい。
長い間連絡すらしていなかった。突然のことでも、顔を見るくらいなら構わないだろうか。…許されるだろうか。気が向いたのだと言えば納得してくれるだろうか。
言い訳じみた理屈をこねくり回す自分に気づきながら足を向けたアパートメントに、確かに彼はいた。
「…ヒイロ?」
インターホンの映像で確認したのだろう、ばたばたと足音を立てて玄関に走りこんだ彼は勢いよくドアを開け目を丸くし、それからゆっくりと、嬉しそうに笑った。

彼の予定を確認しなかったのはヒイロだったが、このタイミングは良くも悪くもあったようだ。
デュオは本日の昼まで一週間留守にしており戻ったばかりで、そういった意味ではタイミングが良かったが、とにかく寝不足だった。ちょうどベッドに入ろうとしたところで死ぬほど眠かったらしい。そういう意味では悪かった…いや、ギリギリで間に合ったのだからそれも良かったのかもしれない。
言われるまでヒイロをして不調を気づかせなかったのは流石はデュオというところだろう。
ヒイロの予定を聞きだした彼が、一晩あるならオレに一眠りさせろ、お前が泊まって行けば時間も取れるぞと提案してくるまでデュオが既に落ちそうになってることすらヒイロにはわからなかった。
意地っ張りの彼がそんなことを言い出すのだから、実際は余程きつかったに違いないのに。
しかし彼はそんな状態ですら人のことには敏いのだ。
「なあ、寂しいから一緒に寝てくれる?」
いたずらっぽく笑い甘えた声で強請った彼の瞳は深かった。
だからすぐに気づいた、自分は甘やかされている。
「お前は、変わらないな」
「お前こそ」
溜息交じりの返事にくすくす笑った彼は気づいていたに違いない。
睡眠不足だったのはヒイロとて同様だった。
甘えることで甘やかし、負けてみせることで勝つ彼に袖を引かれ、渋々という様子を装ってヒイロは彼のベッドに共に入った。
「三時間だ」
「ああ」
遮光カーテンで区切られた闇の中、ヒイロの手を握ったデュオが笑った。
握られた手は、とても温かかった。

意識が落ちたのは僅かの時間のことで、ヒイロはすぐに目を覚ました。
元々多少の睡眠不足は慣れている、更に今回は然程酷いというものでもなかった。
けれど目を開けても彼は動かなかった。
自分の隣では、今デュオが寝ている。
自らヒイロを連れ込んだのだからヒイロが横にいても問題なく寝られるということなのだろうが、流石に動いたら目を覚ましてしまうだろう。そこまで無警戒ではないはずだ。
視線を向けすぎないよう注意しながら、寝顔を覗き見る。
──最後に連絡をしたのは、モニター越しに顔を見たのは、何ヶ月前だっただろうか。
少年から青年へと移りつつある年代である自分達は、そのくらいの期間でもやはり印象が変わってしまう。デュオだって丸かった頬のラインは相変わらずといえば相変わらずだが、やはり顎のラインがシャープになりつつもある。
毎日見ているせいで自分の変化はよくわからないが、きっとこちらも変わっているのだろう。
「…ん……」
デュオの声にはっとしてヒイロは視線を逸らした。
違和感に身じろいだのだろう彼がまた眠りに落ちるのを確認して、小さく息を吐く。本当に疲れているのだろうから起こしてしまうのは忍びない。
動いた際に外れかけた手をデュオがきゅっと握った。
先程までより強い力のそれに意識を留めて、ヒイロはその温もりについて考える。
オレが起きるまで抜け出すなよ?と言いながら手を握った彼の手はその時から既に温かかった。眠いせいで体温が上がっていることもあるだろうが、それでも温かい。
彼の手に最初に触れたときを覚えている。連合軍の病院から脱出し、デュオに肩を借りたときだ。
彼の手は、冷たかった。
体温は緊張で冷える。末端であればその影響は顕著だ。
気安い態度を装っていてもあの時デュオはヒイロのことを警戒していたはずだ。そんな気を許していない男を自分の拠点まで案内した真意は今もって謎だが、その警戒は尤もなものだ。
あの時冷たかった手は、今はとても温かい。
その熱の分だけ自分達は近づいたのだろう。本当に少しずつ、過ごした時間の分だけ。
それで満足しておけば良かった。
(…或いは、気づかなければ)
指先の熱を意識する。
ヒイロの方を向いて寝ている彼の呼吸は一定の穏やかなものだ。甘えてみせることでヒイロを甘やかす彼は、それでもほんの少しだけ、彼自身もヒイロに甘えてくれる。少しずつ少しずつ縮んだ距離の中、彼が見せた変化はヒイロにとって甘いものだった。
慣れた目に暗闇は障害とならない。
既に遮光カーテンに頼らずとも、窓の外には光がない時間だ。溶け込むような闇の中で、それでもヒイロの目ははっきりとデュオを映している。
ここが光の中なら良かった。それが太陽でも人工物でも構わない。
闇の中でも浮かび上がる、ヒイロにとっての光を隠してくれるのなら何でも良かった。
暗闇はコントロールのきかない感情を暴き出し増幅させて、指先の熱が甘く胸を焦がす。包み込む闇は深く甘い。
(…デュオ)
声に出さないで呟いた。
会いたいと思っていた。
会えないと思っていた。
会ってはいけないと思っていた。
それでもこの胸は、彼を目にしてしまえばやはりこんなにも震えるのだ。
これでは彼との間に時間と距離を置いたことに、効果はあまり無かったようだ。むしろ逆効果だったと言わざるをえない。
…だって、こんなにも。
ヒイロは一度強く目を閉じた。
このままこれ以上この甘い闇で時間を過ごすことはまずいと思った。
「──デュオ」
声に出して呼ぶと、ぱちりとデュオの目が開く。
相変わらず明るく澄んだ、宝石のような色だ。闇の中でもその色の純度は際立っている。
ぱちぱちと瞬いたデュオは、「あー、時間か」と言って欠伸をかみ殺した。
いつもならすぐ覚醒するところだが、やはり余程眠かったのかもしれない。眠気を飛ばすように唸っている。
そして、ふと彼は自分の手に目を向けた。
繋いだままの指に始め何だろうコレというような目を向けて、寝る前のやりとりを思い出したのか笑った。「外さなかったのか、えらいえらい」等と笑って絡めた指を解く。
外れた熱が残念で、解放された手に触れる空気が酷く冷たく感じた。
横たわる闇が重い。包まれるようで温かくて甘い、押し潰されるようなつらい闇だ。
残酷にそそのかすその重みに、もう抗うことは出来そうもなかった。

「お前が好きだ」

静かな闇の中、静かなヒイロの言葉が落ちた。
シーツから起き上がろうとしていたデュオがその言葉に動きを止めた。きょとんとした表情で、言われた意味を考えていたデュオがにっこりと笑った。
「オレもお前のこと好きだよ」
「…。そうか」
彼の言葉に一瞬だけ嬉しいと思い、同時に落胆する。
きっと…いや、確実に意味が違うことはわかっている。それでもヒイロは言葉を重ねることはしなかった。
痛む胸を悟らせないように、微笑んですらみせる。
滅多にないヒイロの表情にデュオが驚いて、ほんのり頬を染めた。そしてそのままの顔で、彼は苦笑した。
「でもきっとオレの好きは、お前とは違うんだろうな」
「そうか」
ああ、気づいたのか、と思った。
仕方ないことだ。デュオはヒイロより敏い。
…仕方のないことだ。もう、隠しておくのも、限界だった。

ありふれた闇だった。
何でもない夜だった。
特別なことなど、何もなかった。

互いに、それが特別な意味だなんて、気づける要素はひとつも無かった。


                                          end.




COMMENT;

10周年企画、12ヶ月連続12日更新のその11です。
8月の誕生石はペリドット。宝石言葉は「運命の絆」。

8月の誕生石の宝石言葉は夫婦関係が有名みたいですが、それでイチニは難しすぎると思っていた時に見つけたのがこの宝石言葉でした。見た瞬間きゅんとしました(>△<*
また、『peridot』という単語に『(精神的な)暗闇を追い払う』という意味があるそうでこんなお話になりました。ちなみに最後はデュオもヒイロもお互いに告白してて、お互いに友達の意味だと勘違いしてます(補足)ばっちり両片想いなだめなこたちです。
ヒイロサイドだとデュオの最後のセリフは釘刺しというか冷たいものになりますが、デュオからすると「そうか」で終わらせるんじゃねえよ!という精一杯のデレだと思います。すれ違って切なくなってる二人が大好きですv


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