玄関のドアを開けたところでデュオはぐったりと俯いた。
彼の目の前には今朝出ていったときと変わらない光景が広がっている。
「ヒイロ、お前いい加減…」
それ以上言葉を続けられなくて、溜息を吐いて足を進めた。
デュオの帰宅にちらりと視線を寄越したヒイロは、興味をなくしたようにまた視線を前に固定する。彼の前には小型のテレビがある。
大して面白くもなさそうに新作のアクションゲームをプレイする彼の手つきは既に慣れたものだ。
セーブ画面が見えたので何気なく見たデュオは絶句した。発売二日で何故プレイ時間が40時間近いのだろう。これはもう廃人の域だ。
彼の隣にはポテトチップスの袋が置いてあり、これまたまずそうな顔をして物凄く嫌そうに摘まんでいる。コントローラーへの配慮か箸を使っているようだ。
「……」
デュオは彼のあまりの徹底振りに何から言っていいのかわからなくなった。
ヒイロの思考は、例えるなら直線だ。しかも突然直角に曲がっていくような。 まあ、一言で言うと「極端」だ。
「ヒイロー、オレが悪かったから!もう止めてくれよっ仕事も復帰していいからー!」
「うるさい。『働いたら負け』なんだろう?」
デュオは、そんな彼に言うべき言葉を間違えたことを改めて実感していた。後悔もしていた。
元々オーバーワーク気味だったヒイロが怪我をしたのは今から一週間前のことになる。
それでも彼はデスクワークなら問題ないとばかりに働きまくった。
言うことを聞かない彼に困った周囲に背中を押され、ヒイロに無理矢理一ヶ月の休みを取らせたのはデュオだ。働きすぎなのはヒイロ程ではないがデュオも同様だったので、説得の成功報酬として一週間だけだが彼と合わせて休みを取れるはずだった。
それでデュオは自分のコロニーにヒイロを呼んでいて、そのこともあってヒイロが休暇を了承したともいえる。要するに彼は、お強請りに負けたのだ。
そんな経緯があったというのにデュオは急遽仕事が入った。
立てていた遊びの計画は全部パーだ。しかも本当に直前のことだったから、デュオは到着したヒイロと入れ違いで部屋を出た。
出掛けに、無言で不機嫌になった彼に、急いでいたデュオはつい言ってしまったのだ。
「自宅警備員でもしてればいいだろ!」
───まさかヒイロが、それを忠実に実行するなんて思いもせずに。
(やっぱりこれは仕返しなんだろうか)
そもそも自宅警備員って言ってもこれだと隠語みたいなものだ。
荷物を置いて、夕食まで済ませてしまうとやることがなくなった。
ヒイロは相手をしてくれない。
この一週間、ずっとこうだった。
ヒイロはよく自分のことを理解不能だと言うが、デュオだってヒイロの思考回路がいまいちわからない。今回のこれはデュオの言葉を任務扱いして遂行中なのだろうか。
デュオは溜息を吐いた。
彼と居ると、謎の生物を相手にしているような気分になることだってかなりの頻度だ。
目の前にはジャージ姿(わざわざ買ったのだろうか)でつまらなそうな顔でゲームを続けるヒイロがいる。デュオだってやってみたかったゲームだが、このままいけば見てるだけでゲームの全容がわかるだろう。
ああ、つまらない。
(オレがここにいるのに)
ゲームのことなんてどうでもいい。
こうして珍しく同じ部屋に一緒にいるのに、意識を向けられないことがつまらない。別れている時間は長くても気にならないのに、一緒にいるのに無視されるのは短い時間でも気になる。
贅沢な悩みだ。自覚はあるが、それでも一人じゃないのに人恋しい気持ちを味わうなんて理不尽だと思う。
「……」
不満げに眉を顰めるデュオをヒイロがちらりと見た。
視線はそのまま外されて画面へと戻ってしまう。何を確認したのか知らないが、それはデュオの積もり積もった不満が爆発するきっかけになった。
「…ヒイロ。暇!」
「……」
「暇ー暇ーひーまーだー」
「そうか」
「そうか、じゃなくって。オレが暇だって言ってんだよ」
立ち上がったデュオは床に座り込むヒイロの背中に圧し掛かった。
特別抵抗しないヒイロはコントローラーを操作し続ける。画面では巨大な恐竜が操作キャラクターに襲い掛かるところだった。大剣を振りかぶる。画面からはモンスターの怒り狂った声が響く。
デュオがしがみつく腕に力を篭めた。
ちょうど戦闘が佳境に入っているらしいヒイロの腕の動きが体越しに伝わってくる。何かを切り裂く音をBGMにデュオはヒイロに擦り寄った。
普段のヒイロなら絶対着ないだろうジャージ素材の上着は、抱きつくデュオにもいつもと違う感触を伝えた。新品らしい糊っぽい香りもするが、それでも布越しに伝わるのはヒイロの体温だ。
「…今日でなんとか区切りつけてきた。明日から二週間、休みもぎ取った」
お前の休みと同じ日までだな、と付け足すとようやくヒイロが動いた。
寄りかかるように、後ろにいるデュオに体重がかけられる。
「そうか」
先程までと大して変化のない返事だが、それでも込められた音が違う。
「だからさ。もう警備員は解雇な?」
「了解した」
手から落ちたコントローラーが床に落ちてゴトンと音をたてる。
直前までそれを掴んでいた手は後ろへ回され、デュオの頭を引き寄せた。
画面からはキャラクター死亡のBGM。
(…まあ、いいか)
素直に従おうか悩んだデュオは、結局大人しく目を閉じた。
結局その日以降、ヒイロがゲームを起動することはなく(勿論ジャージも処分され)、要らないと言われたそれを貰いうけクリアしたのはデュオだった。
一週間遅れの休暇の日々は瞬く間に過ぎ、ヒイロの怪我も完治し、二人ともが職場復帰してまた忙しい日々に戻る。
溜まっていた仕事は文字通り山だった。
「そういえばお前さ、結局何してたわけ。あの時」
「お前の言葉を実践していただけだ」
当たり前のように言われるが、デュオは家でのんびりしろという意味で言ったのであって決してニートになれと言ったつもりはなかった。
ニート、NEET、正式にはNot in Employment,Education or Training。
本来は「教育を受けておらず、労働や職業訓練も受けていない若者」を指す。一般的には働く意欲があろうがなかろうが、家でぐだぐだしてる人間全般のことだ。
…形式的には合ってたのかもしれないが、苦行のように好まないものを食べ、やりたくもないゲームをしていた彼はある意味ニートというよりあれこそが仕事だったといえなくもない。もはや修行の域だった。
デュオはしみじみ呟いた。
「…ご感想は」
「何のだ」
「家でプー生活の満喫」
「……」
「少なくとも、普段の休暇とは違った日々だっただろ?」
「そうだな。…悪くなかった」
ヒイロは少し考え、小さく笑った。
意外な答えにデュオが驚いていると、その表情のままヒイロがデュオと視線を合わせた。
「お前が何も手につかず俺のことを考える。悪くなかった」
「……まさか、お前、わざと…!」
無言なのは肯定だ。
口をぱくぱくさせたデュオは、言える言葉が見つからなくて唸った。無視され続けたのはヒイロが真面目にゲームをしていたせいだと思っていたが、まさかデュオが気にするからと仕組まれていたなんて。最初は偶々だったのかもしれないが。
でも言われてみればそうだ。
どれだけゲームしてたって口は動く。ヒイロやデュオであれば意識の全て注がなければプレイできないなんて有り得ない。
思わず文句を言おうと口を開いた。
「毎日必ず俺のところへ帰ってくる。…悪くなかった」
続けられた言葉にぽかんと口をあけたまま固まったデュオを置いて、ヒイロは行ってしまった。
休憩所に取り残されたデュオは、手の中のカップを握り締めている自分に気づいた。中身が空でよかった。言い逃げられた。
潰れたカップを後ろを見ないまま放り投げる。カップはガコン、と音をたててゴミ箱に落ちた。
(…まずい)
これはまずい。良くない兆候だ。
ほだされてるほだされてる。だめだ。騙されちゃいけない。
「バカヒイロめ…」
とりあえず次に休暇が取れたらヒイロの部屋へ押しかけよう。
どうせ彼は仕事だろうから、今度は自分が迎えてやろう。
そうして教えてやる。
(無視されるのはもう勘弁だけど)
デュオは溜息をついた。
毎日迎えられるのだって、なかなか悪くないのだ。
end.
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