「好きだ」
ぽかんと口を開けて硬直してしまったのは、それがあまりにも予想外過ぎる台詞だったからだ。
それを口にしたのがこの男でなかったら、デュオだってもっとまともかつスマートに返事を返せたことだろう。
戦闘直後、ヒイロは格納庫から出て行こうとしたデュオを呼び止めた。
すれ違い様に腕を捕まれて、という些か強引なものではあったが相手がヒイロとなれば今更だ。彼の人と為りについて良くも悪くも達観していたデュオは、全く気にせずその場で用件を尋ねてしまった。
この場合、わざわざ場所を変える必要まで感じなかったデュオに非はないだろう。
しかしヒイロの口から飛び出したのはデュオの予想を軽く飛び越え…単純に言えば、冒頭の台詞だった。
好意の質を問う言葉すら出なかった。
そんなものは、目を見ればわかる。
彼は、怖いくらいに真剣だった。
「理解したか?」
「……」
とりあえずぽかりと開きっ放しだった口は閉じたものの、まだ脳は上手く働いてくれない。デュオは無言のままこくりと頷いた。
いや、頷いたというのは語弊があるかもしれない。頷く形で俯いた顔は上げかけた位置で俯き気味に止まった。だって、じわりじわりと内容が染み込み始めるにつれて顔が熱くなってきている。この距離で真正面から向き合うには相当の勇気が必要だ。
それでもそんな返事でも、そうか、と小さく頷くヒイロの瞳が和んだ。
相変わらずの無表情なのになぜだかそれだけで雰囲気までやわらかくなるような気がするから不思議だ。
「…それだけだ。返事は無くていい」
「え?」
掴んでいた腕から力が抜け、彼が離れて行きそうになってデュオは慌てて顔を上げた。
途惑うデュオにヒイロは何でもないことのように言う。
「どうせ悪い返事だろう。なら聞かなくていい」
責めるつもりはない。女が好きだというのは普通のことだ、と彼は言った。
男女云々を言う前にお前というのがまずビックリなんですけど。というデュオの置き去りの心境には思い至ることすらないのか、ヒイロの言葉はとても淡々としている。
今直球の告白をしてきたとは思えない程だ。
けれど、彼は同じ口で言うのだ。全く希望はないのだというようなことを、常と変わらぬ透明感のある瞳のままで。
「ただ、言いたかっただけだ」
「…ヒイロ」
はいそうですか、と言ってしまってこの場を立ち去ればよかったのかもしれない。
けれどデュオにはそれが出来なかった。
(言い逃げるなんて、卑怯だ)
最初に浮かんだのは、ただそれだけだった。
いつ死ぬかもわからない自分達だ。
この戦いの最後まで生き残る可能性は誰もが低い。そして、例え片方が生き残っても片方が死ねば同じことだった。
だからヒイロは、伝えないまま死に別れるのではなく敢えて言葉にすることを選んだのだろう。
──後悔しないために。
今この時を選んだことに理由をつけるなら多分、『未練を捨てたかった』とか『心残りをなくしたかった』という理由が相応しいのだろう。
意外と繊細なところのある男だから、言われた側の気持ちを考えなかったとは思えない。だからたとえ、それがどれほど自分勝手であるかを自覚していても。それでも言いたかった、と。そういうことなんだろう。
「だから、お前は気にすることはない」
忘れてくれて構わない、というヒイロは最初からデュオに何も求めてはいなかった。
それは本来ならば有難いことであるはずだろう。
しかし、応えるつもりがあるわけではないはずなのに、そんな彼に焦りのようなもどかしさのようなものが胸に渦巻く。
だから。
一度は止めた足を再び動かそうとしたヒイロを、とっさに引き止めてしまったのがなぜかはわからない。
「お、前が」
ただでさえ布の少ない彼の着衣から肩の部分をわし掴んで、デュオは不思議そうに自分を見るヒイロに何か言わなくては、と焦って上擦った声を出した。一度息を吐いて、唾を飲み込む。
「お前が…男が好きな男だとは思ったこともなかった」
なぜこのままヒイロを行かせなかったかという自問の答えは出ないものの、デュオはこの件をこれで終わりにするわけにはいかないという勘のみで言葉を繋いだ。
嫌悪の眼差しでも覚悟していたのだろうか。
ヒイロは意外なものを見る目でデュオを見て、それからことりと首を傾げた。
「それはわからないが」
お前を好きだと思ったことは確かだ。だからそうなのかもしれない。だが何せ比較対象がない。
ヒイロの言葉に動揺は無く淡々としている。
だがだからこそデュオは絶句した。
「……。それは」
もしかしなくても初恋というものではないだろうか。
真っ直ぐすぎる感情はそれ故逸らしようがない。
直撃を食らい続ける頭がぐらぐらした。
腕を掴まれたままで、自分もヒイロの服を握り締めていて、という状態なので赤くなりつつあるデュオの顔は既にヒイロにも丸見えだった。
それに何を思ったのだろうか、そっと、宥めるようにヒイロが空いた手でデュオの頬に指を滑らせた。
「言った筈だ、何も言わなくていい」
言葉通り彼の表情は穏やかだ。
最初からデュオの言葉を聞くつもりは何ひとつないのだろう。それは切ないことだと思うし、もどかしいことだと思う。
そう、彼は言ったのだ。
いい返事以外は聞きたくない。
それくらいならずっと待つ方がいい。
何故なら、待っている間は振られたことにはならないのだ。
例えこの先別たれても、想いだけは捨てずに済むのだ。
ヒイロの主張にデュオはそのままの体勢で腕の間に突っ伏した。
自己完結だけで終わらせようとしている彼は理解していない。言葉にした時点でそんなのはもう無効なのに。
聞く耳をもたない男は悲観的な未来ばかり思い描いているようだが現実はそこまで捨てたもんじゃない。目を塞ぎ耳を塞ぐからそれすらも気づかないんだろうけど。
(ああ、でも別にオレこいつのこと好きってわけじゃないと思う、んだけど)
こんなに居た堪れなくてぐらぐらするんだから、少なくともヒイロが思うほどダメってわけじゃないんだとは思う。
むしろこんな中途半端に囁かれた愛の言葉の方がよっぽどつらい。デュオにも自己完結を強要するなんてあんまりだ。
だから、本当はここから先は彼の口説き文句次第なんじゃなかろうか?
自覚がないって恐ろしい。
だってその『ここから先』は実は、現在進行形だったりするのだ。
「お前…バカだろ…」
「知らなかったのか?」
思わず洩れた呟きに、不思議そうな声音が返った。
「恋する男は皆、馬鹿なんだ」
ノックダウンまでカウント3、2、1。
デュオはついにその場にしゃがみこんだ。
服を掴まれていたヒイロも引き摺られて腰を落とす。
何だかんだで握られっぱなしの腕を意識してしまいながらデュオは呻いた。
「お前最悪お前最悪お前最悪…」
(ああ、もうどうしたら!)
掴まれた腕が、今更ながらに熱い。
人の体温が『温かい』なんて嘘だ。
だって、こんなに、焼き切れてしまいそうなくらいに熱いのだから。
end.
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