「…っ」
デュオはシャツを引き裂き、自分の左腕をきつく縛った。
指先の感覚は鈍るが仕方ない。優先順位は止血が上だ。
「迎えはどんくらいで来るって?」
「そう待つ必要はないそうだ」
無線機から耳を離しヒイロが答えた。
端的に返された内容から伺えるのは、どうやらあちらの始末も着いたらしいということだ。
ヒイロが何も言わないということは特に問題もなかったのだろう。デュオはひとつ息を吐いた。
戦闘が終わった直後の周囲は、こちらもかなり慌しい。
何を言っているのかわからない怒鳴り声はそこかしこで聞こえるし、消火活動や怪我人の手当てなど仕事は山積みだ。動ける以上自分も何かしなくては、と思うものの体は動かなかった。
「血が足りねぇー…」
頭上から呆れたような視線が下りてくる。
「お前のミスだ」
「わかってるよ。悪かった」
うっかりで死ななかっただけまだ良かったんだろうけど、と内心思いながらデュオは素直に反省した。
どうしてだかはわからない。
ただ、どう頑張っても集中できなかった。そんな時は誰しもあるものだ。
ただ、自分達の場合はそんな状況が生命の危機に容易く繋がってしまって、それが理解っているのに戦闘から外れなかったのは自分の責任だった。
失うのが自分の命とは限らない。
(ああ、まずい。視界がぼやける)
デュオは頭を振った。
思ったより流れた血は多かったらしい。
だが、自分より重症な人間など何人もいるのだし、応急処置くらいは手伝わなければ…。
「…?」
立ち上がろうとしたところで肩を押さえられた。
不思議に思って見上げるとヒイロが随分強張った表情をしている。
「動くな」
「えー?こんくらい平気だって…」
「……」
がっちり押さえられた腕は外れそうもない。
ぐらつく頭でそれを抜けるのはとても困難な作業で、デュオは早々に諦めた。
そして気づく。
「あれ?お前なんでここにいるの」
「見張りだ」
「念の為聞くけど…オレ?」
「……」
今度の無言は「当たり前だ」と言わんばかりのものだった。
ヒイロは「自覚がないのか」とかなんとか言っている。まずい、声まで遠ざかって聞こえる。
「もしかしてオレ結構酷かったりする…とか?」
「重傷者の筆頭だ」
神経に問題はないが失血が酷い、よく意識があるものだと淡々と続けられても実感は沸かない。
えー?と不満を口にしたら睨まれた。
「動くな。そんな状態で動き回るから悪化したんだ」
「大丈夫だってー」
「その張りのない声が証拠だ」
「……」
無駄口にまでいちいち答えてくれたヒイロはもう一度「黙れ」と言った。
その声の迫力に思わず口を閉じる。
「でも平気なんだけど」という言葉は口から出かけた瞬間睨まれて消えた。
デュオはもごもごと口の中で言葉を遊ばせて、やっぱり黙ってられず口を開いた。
「でも」
痛いとか。
苦しいとか。
…寂しいとか。
「だから黙っていろと」
「不思議とお前がいると、本当に何てことないんだよ」
デュオの呟きに、ヒイロは言いかけた言葉を止めた。
「……。そうか」
ヒイロは何と返すか少し悩んだようだ。
そんな躊躇する気配が感じられてデュオの口に笑みが浮かぶ。
「…まあ、ヒイロさんに怒られるから大人しくしておきます」
だからお前は他の仕事やってきていいよ、と言ってデュオは近くの瓦礫に寄りかかった。
(ああ、本格的に眩暈してきた)
怪我の内容はもちろん「命に別状はありません」というやつだが、とにかく血が足りない。救援が早いらしいことは助かった。
輸血さえすれば平気なのだから、今はとにかくじっとしているべきなのだろう。ヒイロの言う通り。
彼が立ち去る気配はない。
ぼーっと周囲を眺めていると、遠くに小さな影が見えた。
この辺りに住んでいる野生動物だろう。異常が収まったのを感じて遠目に様子を伺っているのだろうか。
輪郭がぼけていまいちわからないがタヌキかウサギかネズミか…とにかく小型の茶色の生き物だった。
(あんなちっこくても血が通って生きてるんだよなー)
デュオはぼんやり考えた。
血が流れるのは心臓が鼓動を刻むからだ。体に血を流すためのはずの鼓動で、命の液体は外に流れだしていく。随分な悪循環だ。
普段は意識しない拍動は、今全身に響くようにデュオを苛んでいた。
「いきものってさー」
「……」
「一生の間に打つ鼓動の回数が決まってるんだって」
デュオはぼんやりとした眼差しで、いつの間にか横に座っていたヒイロの方を見た。
このくらいのことはヒイロだって知っているのだろうが、彼は無言で続きを促した。
鼓動の回数はほぼ同等でも、打つ速度が違う。
小さい生き物は早く脈打ち、大きい生き物はゆっくりと。
年数は違えども公平に、おおよそ同じ回数を打って止まる。それが寿命というものだ。
「その論理でいくと、お前と一緒いるだけでオレの寿命凄く短そう」
「俺達にはこの生き方しかない」
「違う違う」
そうじゃなくて…。考えながら声を出す彼は、自分が何を言っているのかわかっているのだろうか。
怪しいものだ、と思いながらヒイロはそれでもその声に耳を傾けた。
「お前と居るとなんかどきどきするから、絶対縮まってるはず… 」
「……」
ヒイロは変な顔をした。
デュオの言った言葉は『危険』や『不安』とは発音のニュアンスが違っていて、そう、それはまるで…。
「…デュオ?」
一瞬の間の後、ヒイロが慌てて振り向くと既にデュオの意識は落ちていた。
遠くで微かにヘリの音がする。
意識が無くなるのは大きな問題だが、この分なら治療に問題はないだろう。
ヒイロは溜息を吐いた。
(目覚めたら、どうせ覚えていないのだろう)
今の言葉の真意が聞けるのはいつだろうか。
いや…もしかしたらそんな日はこないのかもしれない。自分と彼がそんな話をすることなどそうあることではない。こんな、非日常的な事態でもない限り。
だが。
「ひとつだけ、同意する」
ヒイロは服の上から脇腹に手をあてた。
デュオの血臭に紛れて目立たなかったそれは、今も確実に赤い液体を滲ませている。傷の深さはデュオに及ばないが、場所が場所だけに止血も出来なかった。
布を押し当てて縛っただけの応急処置に気づくことすらなかったデュオは相当まいっていたのだろう。
―――不思議とお前がいると、本当に何てことないんだよ。
「お互い様だ」
それは、悪くない気分だった。
いくつもの足音が近づいてくる。
それを耳で確認しながら、ヒイロは自分も瓦礫に寄りかかると目を閉じた。
end.
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