◆トヨタFC100改 救助工作車



昭和48年1月6日
稲毛公園での出初式の本部警防課直轄 特別救助隊 救助工作分隊
トヨタFC100改 救助工作車




昭和43年に千葉消防にとって初めての本格的な高層建物火災の奈良屋百貨店火災を経験した同年昭和43年の末12月に千葉市消防本部警防課直轄特別救助隊に新規購入の本格的な一貫充実した救助装備・資機材をぎ装した救助工作車(トヨタFC100改)が千葉県で初めてお目見えしました。
全国的にもこのように本格的救助資機材ぎ装を施した救助工作車はおそらく横浜消防しか、まだ、持っていなかったのではないかと思われます。




この新型救助工作車の導入をもって千葉消防の特別救助隊はそれまでよりさらに本格的な人命救助体制を有することになりました。




車両前部には運転席と指揮官席のシングルシートのみで、車両最後尾部分に隊員用の乗車ボックスが対面横座りシートで設けられていて、前後部には通路はなく、指揮・連絡は有線のインターフォンで行われていました。
(これが横浜方式ともいえるシステムパターンでした。)




一番最初に設立された本部警防課直轄特別救助隊は美浜署新設の際に部隊駐屯地は真砂の救助救急センター所在のままで美浜特救隊として美浜署に移管され現在に至っています。
千葉消防の救助工作車も中央特救隊(都賀)、臨港特救隊、緑特救隊と増え続け、現在では中央特救隊(臨港)、美浜特救隊(救助救急センター)、若葉特救隊(殿台)、緑特救隊(緑署本署)の4台で市内をカバーしています。




フロントウインチは張り出しバンパーに装備されていました。
夜間活動用の現場照明設備も十分なものを備えていました。




進行方向左側ボディーには主に救助対応関係資機材が収納されていました。
(ロープ等、救命索発射銃、エンジンカッター、可搬式ウインチ、ゴムボート等が観音開きの収納スペースに収納されていました。)




進行方向右側ボディーには主に火災対応資機材関係が収納されていました。
(投光器、チェーンソー、削岩機、放射能防護服、ガス検知器等が観音開きの収納スペースに収納されていました。)
ボディー下部にはガス溶断機が収納されているのが見えます。




シャベル類はボディー最後尾両側に装着されていました。
車両最後尾隊員乗車室の奥には空気呼吸器関係が走行途中で着装できるように多数格納されていました。
ボディー上部には鋼管製三連梯子 鉤付き梯子 救助用担架 投光器用コードリール等が見受けられます。
写真に見られるように初期の特別救助隊員の服装は水色の安全乗車帽に紺の作業服上下(執務服)、火災出動時は銀色のアルミ吹き付け防火上衣着用でした。




◆日野 TC30改 32m梯子救助車 LR24



昭和41年9月20日に緑町(現、稲毛区緑町)の千葉市消防署本署(後の中央消防署本署)西千葉出張所に本部警防課直轄の消防特別救助隊が千葉県で初めて活動を開始しました。
当初の隊員は11名で隊長と隊員10名が2交替でした。
新規購入の32m梯子車(ちば24号)が昭和41年11月に届いて、呼吸器や油圧救助器具などを積載したトヨタのダイナの幌付きトラックの資機材搬送車(ちば33号)とペアで本格的に活動を開始しました。
かの東京消防庁にさえ昭和41年の時点では消防特別救助隊はまだ設立されておらず、先行ポンプ車乗車の専任救助隊や出張所ベースでの先行員の活躍していた時代でしたから、当時県庁所在地とはいえ、ほんの片田舎だった千葉市にとっては消防特別救助隊創設というのは、かなり思い切った先進的な決断だったわけです。




◆トヨタ ダイナ 幌付き資機材搬送車 E33



昭和41年9月20日に特別救助隊が設立された当初は新規購入32m梯子車(ちば24号)が同年11月に届くまでは呼吸器や油圧救助器具などを積載したトヨタのダイナの幌付きトラックの資機材搬送車(ちば33号)が特別救助隊の機動力でした。
おそらく同年7月に横浜消防に救助技術研修を受けに行った時もこの車両に機材を乗せて出向いていったのではないかと思われます。
(救助工作車はその時点ではまだなくて、奈良屋火災の年・昭和43年12月に新規購入されました。)




写真の車両は昭和43年12月に救助工作車が導入された後に災害工作車と銘打った災害用資材運搬車(例えば震災時道路地割れ用鉄板敷きなど)に改造された後の写真で、以前あった荷台の幌は撤去されています。




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