こちらへおいで。やさしい少女。

こちらへおいで。やさしいケモノ。

 

凍える全てを焼き尽くしたなら

きっと静かな海に眠るよ。

 







◆◆◆








暑い夜だった。
物音に気が散るからと窓を閉め切った部屋の中は、空気が動かず、少し息苦しい。
もうすぐ夏は終わるのだ、それでも。
机上の仕事に集中しながら、頭の一方はとりとめもないことを思いだそうとしたり、今までの季節を数えてみたり、まるで湿ったこの夜そのもののように散漫でなまぬるい。
突然部屋に走りこんで来た少女には、巻物から上げた目だけで答えた。
「楊ゼン! あんたねえ! みんな怒ってるんだから!」
「仕事中なんだけど。一応」
「そういう態度がムカツクっ!」
彼の自信過剰な行動とか。
人を人とも思わないような言葉とか。
何やら一人で激昂する蝉玉の一方的に責めるわめき声を笑って流し、楊ゼンは立ち上がって彼女に背を向けた。
夜へと続く窓を開けると、いくぶん涼しい風が頬を撫で、楊ゼンの長い髪をゆるく宙に飛ばした。
「・・・楊ゼン。ねえ、聞いてんの?」
とがっていた蝉玉の声がふっと陰る。
夏の夜。もうすぐ終わってしまう夏のただ中。
「ねえ。・・・何か言ってよ」
不安げにさえ聞こえる彼女の言葉の弱さを不思議に思って、髪を押さえながら蝉玉のほうへ向き直ろうとした時、かけよってきた蝉玉に突然背中から抱きすくめられた。
「・・・・・・」
予測不能の相手の行動に、楊ゼンは一瞬どうしようかと思案する。
「・・・・・・・・つくづく、何をしだすかわからない人だね。君は」
「だって・・・・・だって・・・・」
後ろから蝉玉に抱きつかれたまま、楊ゼンは自分の胴にまわされた彼女の手が細かく震えているのを見て取って首をすくめる。
「夜、突然人の部屋に駆け込んで来て、怒鳴ってると思ったら抱きついてきて。夜這い?」
「バカじゃないの?」
「この場合バカなのは君のほうだと思うけど」
軽く溜め息をつく。
「君は僕に昼間のことについて文句をつけにきたんでしょう? それだったらちゃんと聞くから」
「そうよ! 稽古つけるって、あんた何様だと思ってんのって・・・言おうと・・・」
「君たちがお話にならないぐらい弱いからだよ。それは」
「・・・あんただって・・・・弱いじゃない・・・」
蝉玉の声の響きに、彼女が言いたいことを察して、楊ゼンは天井を見上げた。
・・・・ああ。その話ね。
とたんに興味を失って、楊ゼンが目をふせて顔を傾ける。さらりと青い髪が流れる。
その髪に顔をぎゅっと押し付けて、蝉玉は少し泣きそうになる。自分のしていることがよくわからない。
なんでこんなに哀しいのだろうと思う。
楊ゼンの疲れたような薄い笑い声を聞くと、目の前で失われた多くのものが全て自分の中に入り込んで叫び声をあげ、蝉玉の胸を苦しくさせる。この人が泣いているのではないのかと思い、抱き寄せて慰めたくなる。本当に慰めて欲しいのはきっと自分なのに。
「・・・あたしね、思いだしちゃうの。あんたの顔みてると。色んなことをいっぺんに」
「玉鼎師匠のこと?」
「そう。それもあるわね。それと・・・もう戻らない場所のこととか」
「そうだね。君は金ゴウ出身だから」
「あんたはさ、もう全部大丈夫なの? 苦しくないの? 全て乗り越えて、あとは進むだけだって、そうやって笑って言えるの?」
「・・・君はさ」
机の上の灯が、二人の影を黒く落としながらオレンジ色にゆれるのを眺めながら、楊ゼンは自分の体にまわされた蝉玉の手に自分の手をかさねた。その小さな爪を指先でなぞる。
「つまり、失ったものについて、一緒に泣こうとでもいいたいの?」
蝉玉の体が震える。
「そうだね。僕たちは同じキンゴウの裏切り者同志で、君は僕を守って師匠が命を落とした場面にいたわけで、慰めあうには最適かもね」
こういう言葉がどう彼女を傷つけているのか、楊ゼンはわかっていて、それでもやめない。
「同じ傷を持つ同志」
・・・違う。同じ傷だなんてありえない。痛みを共有することはできない。たとえそれが誰であっても。
ふっと、溜め息をつくように蝉玉がつぶやいた。
「なんか、やさぐれてるわね。あんた。ヤな感じ」
つぶやいて、楊ゼンの背中に頬をこすりつける。
「あたしはきっと、こうやって時々立ち止まってすごく哀しくなってる自分自身が哀しい。だから、先に行こうとするあんたを引き止めたくなるのよ。あんたが・・・あんたが全部しがらみを断ち切って前を見てるんなら、それはそれでいい。むかついたりいらだったりしながら、その背中を見てるよ」
「君にはモグラがいるじゃない」
「いるからこそ・・・・ハニーを失ったら・・・どうしよおって・・・・」
蝉玉の言葉が震えて涙になって、楊ゼンは前を見たまま目を閉じた。深く息をすう。
蝉玉の手をほどいて、その腕をつかんだまま、彼女に向き合う。涙だらけの顔で蝉玉は楊ゼンを見上げて唇を噛んだ。暗い夜の中で、蝉玉の目がぬれて光る。
――ああ・・・・
楊ゼンは心のなかでつぶやく。
――この子を壊してしまいたいよ
身をかがめて蝉玉にキスをした。はじかれたように蝉玉が顔をそむけたので、首筋をつかみ、薄い肩に額をよせ、逃げられないように腰を強く抱き寄せる。
「やっ・・・」
「慰めてあげるよ?」
首筋に顔を埋めたまま表情のない声で言った。
きっと憎かった。「失えるもの」を持つ彼女が。自身の弱さを、傷を、人にさらけだせる「強さ」をもつ彼女が。

蝉玉の両手首を片手でひねりあげ、壁にその体を押し付けて、ムリヤリに唇をあわせる。
太ももの間に指をすべらせ強く押し付ける。
堅く閉じられた蝉玉の唇が思わず呻くように開き、ちらりとのぞいた舌を、楊ゼンの舌がからめとる。
自由になる右足で、強くけられた。楊ゼンは唇を合わせたまま笑った。
「痛くないよ」
貪るようなキスからやっと逃れて、蝉玉がぷはっと息を吸い込み首をふる。
「ちょっ・・・何・・・すんの・・・っよ!!」
「嫌なら夜に男の部屋にのこのこ来ないことだね」
「やめっ・・・・・・・・・・・・あっ・・・や・・・・」
敏感な場所を下着の上から強く掴まれ、思わず腰が浮き、叫ぼうとした声がかすれた。
あえぐ唇を、楊ゼンがそっと噛む。いくぶんやさしく。
「もう、これだけで声も出ない?」
「ち・・・違・・・・」
「かわいいね」
そうしてまた唇をふさぐ。指先は下着の中に入り込み、濡れはじめたその場所に無理矢理浸入する。
閉ざそうともがく蝉玉の太ももが、楊ゼンの手をしめつけて、よけいな刺激を彼女に与える。
「ふ・・・・ふぅん・・・・」
ぎゅっと目を閉じて、口の中を侵されたまま、喘ぎ声がこもった。
蝉玉の顎ががくがくと震え、楊ゼンの唇を逃れて上にそれる。
かがめていた背をのばすと、楊ゼンは蝉玉の中からひきぬいた濡れた指先をちろりとなめながら、首をかしげて冷めた目で彼女の顔を眺めた。
「僕がこわい?」
「・・・」
蝉玉は荒い呼吸の中で、顔をそむけて答えない。答えのかわりに大きな目からは涙がこぼれ頬をつたう。
楊ゼンは頭上で組ませ押さえつけていた蝉玉の腕を自由にした。しかし彼女は逃げ出さない。
力なくたれたその細い手首をとって、蝉玉の顔を眺めたまま、指に唇をよせた。
「ねえ・・・。僕を拒まないで・・・?」
挑むような言葉。楊ゼンは、もうどうでもいいと思っていた。
激情ではない。ただ一瞬、やさしくいようと思う心の表面をつきやぶって、彼女を泣かせてみたいと思っただけ。
でも、それでも、まっすぐで曇りの無い、弱そうでいて実は自分よりもずっと強い目の前の女を汚す自分はどんなにか気持ちがいいだろうと思う。汚すことで自分こそが汚れ、投げやりな心は一瞬でも自由になれる。
「僕がこわい? 妖怪だから・・・人間じゃないから、こわい?」
びくりと肩をふるわせて、蝉玉がかすかに首を振った。やさしい子。だからもっと苦しめたくなる。

―――妖怪だから。妖怪だからアナタはボクを受け入れられないのでしょう・・・?―――

一番卑怯な方法。そう問うことで自分の傷をえぐる。
「こんなに醜い僕は・・・・嫌・・・?」
楊ゼンの白い手が姿を変え、節くれ立った、するどい爪をもつ、妖怪のそれになる。
その手で、震える蝉玉のそむけられた頬をそおっとなぞる。
「人外の者とは寝れないとでもいうの? 僕はこんなに苦しんでいるのに。・・・ねえ」
言いながら、背筋が少しぞくりとした。自虐的な言葉にかすかな恍惚を覚え、夜の闇にうかびあがる楊ゼンの美しい顔がわずかにゆがむ。蝉玉が泣きながら、顔をそむけたまま、ひきつったように首を振る。
「こわくないなら。僕がこわくないなら。ねえ、蝉玉。僕を拒まないで」
楊ゼンの声が少しかすれる。ぞくぞくする。首筋が泡立つ。

はやく僕を拒んで。妖怪なんか気持ち悪いと、はやく拒んで。
そうすれば君は自由だ。そして僕も。

「・・・・・・こわくないよ・・・・・・・」
小さな小さな声が聞こえた。聞こえた言葉がよくわからず、蝉玉の首筋をなぞる楊ゼンの手が止まった。
蝉玉が泣き顔で、でも強い眼差しで楊ゼンの顔を見上げ、はっきりと繰り返す。
「こわくないよ。楊ゼン」
憐れみだろうか。その目にあったのは。
ゆっくりと蝉玉の腕が上がり、楊ゼンの手を両手でつつむ。
いくつもいくつも目から涙をこぼし、声を上げて泣きながら、蝉玉は妖怪の手にキスをした。
「・・・・こわくないよ・・・・だから抱いていいよ・・・・」
奇妙にねじまがった古い木の枝のような楊ゼンの指先を唇でなぞり、小さな口に含む。
「・・・ん・・・・」
止まらない涙の濡れた目を閉じて、時折溜め息をこぼす。
頬を染め。
「・・・・・・っ」
感じたこともないような痛みを感じて、楊ゼンは震えた。堅い声で言葉を紡ぐ。
「・・・・もういいよ・・・。もういいよ。蝉玉」
「どうして?」
楊ゼンの手を唇から離し、蝉玉が楊ゼンを見上げる。どう答えていいのかわからず、今度は楊ゼンが顔をそむける。
蝉玉の唾液で濡れた手が、見てわかるほどに震えていた。どうかしたら、泣いてしまいそうだった。
自分はこんな反応は望んでいなかったのに、それなのに彼女は。
「どうして? あたしは抱いてと言ったのに」
蝉玉の目を見れない。こんな簡単なことで、自分の心が揺れるだなんて思わなかった。
かけられた憐れみに自分はすがりたいとでもいうのか。
ただ一つわかることは、勝つことも負けることもなかったはずの勝負に、彼女は勝ったのだということ。
はっきりとわかる。今なら。彼女を汚すことなんて、きっと誰にもできないのだ。
「ねえ、抱いて? キスして? こわくないよ。あんたのことなんて、あたしは全然こわくない」
そう言って、また楊ゼンの手を口に含み愛撫する。
「・・・・・あ・・・・」
眉をかすかにひそめ、楊ゼンの口から声がもれた。今度こそ泣いてしまう、と思った。
弱すぎる。自分は。
せりあがってきた何かが胸をたたいた。苦しくて、心をたたいて、泣いてしまう。
泣く代わりに彼女の細い首筋に顔をうずめた。
唐突につきあげるものが、彼女に触れたいという欲望なのだと気付いて、うろたえる。
蝉玉の口から自由になった手を、人間のそれに戻す。
そして少し震えながらキスをした。今度は優しく。
何度も唇を離しては、またキスを繰り返す。閉じられた蝉玉の目から小さな涙がぽつりと落ちて、二人の唇を濡らした。甘い吐息が苦しげに口から漏れでて、力を失った蝉玉の体が壁によりかかり、その両手が楊ゼンの首にまきついた。どれくらいそうやっていただろう。楊ゼンの指がキスだけで固くなった乳首を服の上から確かめる。
「・・・・・・・・・ん」
はっきりと喘ぎ声をあげ、蝉玉が小さく楊ゼンの舌を噛んだ。
薄い布ごしにやさしくこするように指先で胸を愛撫する。きれいなお椀型の乳房がたわんで、蝉玉の顔がせつなげにゆがむ。楊ゼンの息が早くなり、蝉玉の背をさする。
「・・・・妖怪の・・・姿のままで・・・いいのに。あたし」
やわらかな耳たぶを舌先で舐め、楊ゼンが答える。
「それじゃあ君の肌を傷つけてしまうから」
「・・・・うん」
蝉玉の三つ編みをほどき、くせのついた髪の中に指をさしいれた。蝉玉も真似するように楊ゼンの髪を撫でる。
上着をせりあげ胸をあらわにすると、恥じらうように上気した肌に唇をよせつぶやいた。
「跡はつけないから・・・・ね?」
「ん」
立っていられない蝉玉は、うなずいてその場にずるり座り込む。楊ゼンはその体を床に横たえて、白い肌をゆっくりと舌でなぞりはじめた。舌が横腹にたどり着くと、蝉玉が泣くような声を上げる。
「や・・・・くすぐったい・・・・」
楊ゼンが小さく笑って蝉玉にキスした。キスを味わおうと舌をからめてくる蝉玉に、からかうような声で言う。
「他のトコロにキスしてあげるよ」
手のひらで甘く乳房をつぶすと、蝉玉が溶けそうな溜め息を目を閉じて飲み込む。はりのある胸は横たわっても丸く上を向いていて、小さな灯に薄く照らされる白い肌は、ピンク色に上気して薄く汗を浮かべている。
舌で転がしてから、固くとがった乳首を口に含んだ。軽く甘噛みをし、吸い付く。
「ふ・・・・・・・・」
蝉玉が吐息をつき自分の指を噛みしめる。楊ゼンに組み敷かれた体がびくりと震え、膝が上がる。
口から乳首を離し、唾液で濡れたそれを指で愛撫しながら、今度はもう一方の胸を口に含んだ。
「・・・は・・ああ・・・・」
それだけで首をよじって蝉玉が喘ぎ声をあげる。自分の胸の上にある楊ゼンの頭をきつく抱き寄せる。
楊ゼンの手は右胸を愛撫しながら、舌で左の乳首を転がしたり、吸い付いたりする。
「ふう・・・ん・・ふっ・・・あっ・・・」
「・・・・・」
顔を上げ、溜め息をつくように楊ゼンが息を吐く。体を起こして蝉玉の横に座り、彼女の顔を見下ろすと、その髪を撫でる。早い呼吸を繰り返しながら、蝉玉が薄く目を開ける。髪を撫でる仕草が心地よく、また溜め息がこぼれそうになり、目を閉じた。
「蝉玉」
暗闇の中で楊ゼンの声がする。もう泣いているようには聞こえなかったから、蝉玉は夢心地の中で安心する。
「そんな声を出さないで。君を・・・犯したくなるから」
「・・・・そのつもりじゃないの?」
「だってこれ以上は」
「これ以上は?」
言葉を探して楊ゼンが口元に手をあて、ふと視線を泳がす。蝉玉は手を伸ばして楊ゼンの服に手をかけ、ファスナーを引き下ろした。男の体は、綺麗だと思う。指先で楊ゼンの胸元をすべるように撫でてみる。
楊ゼンが弱く微笑む。
「私は怖くないのに。こんなに、こんなにあなたを受け入れたいと願っているのに」
快感の余韻で、自分の声が上ずっていることを蝉玉は感じた。これは決して愛じゃない。でも、目の前の男を、自分は泣きたいほどに抱きしめてあげたいと思う。そして、自分自身も抱きしめられたいのだと。
楊ゼンが少しつらそうに目を細める。不思議な色をしたまっすぐな髪が、傾けた顔に落ちかかってその表情を影にして隠した。
「・・・・ありがとう」


二人で並んで横になっていた。固い床に。
かわりばんこに静かに息をはいて見上げる天井に月の光が絵を描いていた。
服を着ようと手を伸ばした楊ゼンの髪を蝉玉がひっぱる。
「駄目。しばらくこのままでいよ」
「風邪ひいちゃうよ」
「肌と肌をくっつけてるのが一番あったかいんだよ?」
「・・・・・そうかな」
「そうよ」


裸でねそべるこの時を永遠のように感じていた。
『愛してるわけじゃないのに』と楊ゼンは思う。
『私にはハニーがいるのに』と蝉玉は思う。
それなのに、抱きあってしまえば、冷たかった指先がとても暖かい。
与えあい慰めあうことはなんて簡単。
拒むより受け入れることのほうがはるかに易しいのだと誰もが知っていたなら。
そうしたらとても優しい世界になるのに。
まるで静かな海のような。










おわり(笑)