擬似的近親相姦
「私を抱いてくれませんか」
〇
夜。
邑姜は一人、焼けた後の草を分けて歩く。
夜着に軽く上衣を羽織っただけの格好で、点在する大小の天幕の間を通り抜け。
住処を失った虫の音が切れ切れに聞こえた。
砕かれた大岩がゴロゴロと。
この戦の凄まじさを沈黙のうちに語っている。
旗が靡いた。
寒々とした光景。
戦の後の焦臭い煙が、まだ仄かに昇っている。
この夜は静かだ。
疲弊した兵士達も夜警の係以外は皆眠りに就いた。
戦いに傷を負った仙道も、今は疲れを癒すために眠っているだろう。
戦いに疲れているのは彼とて同じ、だが。
小さな一人用の一つの天幕が、薄く灯りを宿していた。
合わさった布をそっと上げて、小柄な少女は断りもなく中へと入り込む。
彼はそこにいた。
狭い天幕の中で机に向かい、蝋燭をたよりに書を捲る。
そこに筆を滑らせ、書き足していく。
方々に散らばった紙片には、この辺りの地形が細かに書かれた地図。
彼は戦のことを考えている。
戦に勝つ術を。
太公望はちらり、と侵入者を見やって。
「天幕を違えたか?武王なら、もっと奥の所だ」
また作業に戻る。
「眠らないのですか?」
「いや、もう寝るよ」
そう言いながら、まだまだ片付きそうにない此の場所。
簡単な机と、そこから溢れた紙の束。
足元に敷かれた薄い布団一組の上にも、数枚の紙片が散っている。
「他の者は休ませて、貴方だけ働いているのですか?」
「なに、朝になれば立場は逆転する」
少女は足元の紙を拾い上げる。
「楽しい、ですか?」
戦。
そこには彼の生き生きとした字が書かれていて。
「・・・・・・楽しいわけなかろう」
返す言葉は苦渋に満ちていた。
「右手でも結構綺麗に書けるんですね」
だからすぐに話を変える。
「何をしに来たのだ。お主も疲れているだろうが。早く休め」
「疲れてるんですけど、眠れません」
「体を横にしてれば自然に眠れる」
「そうかもしれません」
足元に落ちた紙片を、全部拾い集めて、少女は机の上に置いた。
「ここで、眠ってもいいですか?」
太公望は目だけで少女を見た。
「それじゃあ儂は、どこで眠ればいいのだ」
「眠る気なんか、無いくせに」
髪留めを取り、上衣を脱ぐ。
薄く白い夜着の裾から、細い脚が伸びた。
太公望は軽く舌打ちする。
「つまり人の邪魔をしたいわけか?」
「邪魔になりますか」
「白々しい」
その通りだ、と少女は思う。
「私を、抱いてくれませんか」
微笑んでみせる。
「『お兄さま』」
「やめんか、悪趣味な」
露骨に嫌そうに、太公望は顔を歪めた。
今の発言は、少女のどちらの言葉に対するものだったのか。
大げさな溜息の後、太公望は筆を硯に戻し、書簡を整えて置いた。
数秒の後、どちらの息によるものか、蝋燭が吹き消され。
天幕の中は闇に染められる。
〇
「代わりで、いいんです」
貴方の妹の。
帯を解いて露わになった肌に、太公望はそっと顔を埋める。
「初潮もまだ始まっていなかった妹に、欲情するか?ロリコンではあるまいし」
くすぐったそうに身をよじって、邑姜は笑う。
「でも、想像したでしょう?」
成長途上のまだ未発達な体に。
少女に、幼女の面影を重ねて?
遠い、思い出の中の彼女は、まだ幼く。
本当にそんな対象で見たことなどないのだけれど。
ただ自分とは違う種類の生き物だと。
そう思った。
「人を犯罪者な気分にさせるな」
やってもいない罪を責められる、冤罪を着せられた者のように。
顎を捉え、けれど目を合わせずに。
赤い唇に、合わせた。
細い首へと手を滑らせ添える。
「小さい顔だな」
「貴方も」
邑姜の手が太公望の頭をかき抱く。
そして頭の布を抜き取った。
緩く振られた顔が、本当に少年の顔で、邑姜は少し安堵する。
女の体は、どこもかしこも柔らかく、骨が無いかのようだ、と太公望は思う。
薄い布団に横たえた身体は、
昼間に吠えた戦士からかけ離れて見えて、ただ皮膚が白く浮かび上がる。
「脱がないんですか?」
軽く上衣を引っ張られ、促されるままに衣服を取り払う。
「手」
「え?」
「左手、本当に作り物なんですね」
右手だけで器用に脱衣するのを、邑姜は闇の中で目敏く見て言う。
「ああ」
「それも、外して」
艶めいた懇願に、しばし躊躇した後。
太公望は義手を取り外す。
ごとり。
重量のある音が、机の上に投げ出された。
横たわったままの邑姜は、太公望の左腕へと手を伸ばし、触れた。
「気持ち悪い傷跡」
指先でなぞって、邑姜がポツリと言う。
その声に嫌悪感はさほど無かった。
「そう思うなら触るでない」
手を取って、上へと被さる。
「でも、キレイだわ」
両腕を太公望の首へと回し、再び抱きしめる。
「何が、キレイだと?」
間近に迫ったお互いの顔に、どちらからともなく口付ける。
瞼と、鼻と、唇と。
「その犠牲的精神が」
そこにあるココロが、キレイ?
「お主、誉めているようでけなしておるのだな」
そんなことを言われて喜べるか、と太公望は憮然とした。
「こういう状況で、キレイなんて形容詞は普通男から言うものですよ」
言われないから、代わりに言ってみたんです、と邑姜は笑う。
「ムカツクから絶対言ってやらぬ」
太公望は身体を横に傾け、右手だけで支える苦しい体勢から逃れた。
闇に慣れた目に、少女の膨らんだ胸の薄桃色の突起が映る。
それを指の腹で押し、揉みしだいてほぐす。
それから手を脇の下に滑らせると、肩がヒク、と上がった。
透けそうに薄い皮膚なのに、どこまでも柔らかく、手が滑っていく。
しばらくその愛撫を繰り返した後。
下肢へと伸ばした手は、細い手に捕まえられ、そのまま導かれた。
時折吐く息は、喘声とまではいかない。
合わさる目線だけが、少し色を帯びて。
冷たい汗が、互いの身体を流れた。
無言で。
手が動き、足が絡んで。
短く小さな悲鳴の後、邑姜は大きく息を付いた。
それを見やって、太公望はまだ果ててはいない自身を抜こうとする。
が、止められる。
「そのまま、出して」
体の下で、邑姜が言う。
「それは、まずいだろう、さすがに」
戸惑いがちに、太公望が言う。
「薄そうでしょ、貴方の」
「あのな」
太公望は構わず抜いた。
そして少女の身体を避けて出す。
大きく息を付いてから。
「まあ、確かに今更出来ぬとは思うが」
太公望は、ヨッと立ち上がると腰に手をやる。
「年寄りを酷使しよって」
筋肉痛になりそう、と呟いて、着衣の入った箪笥の抽斗を開ける。
「ほれ」
清潔な布が、邑姜の上に放られた。
「一応、武王が目を付けていることだし、な」
1年後らしいが、と付け加えながら。
太公望は素早く体を拭いた後に、片手でまた器用に服を着込む。
「情緒のない人」
行為の後の余韻を楽しむこともない男に、小さく呟いた。
勿論、己も余韻を楽しみたいわけではなかったのだが。
太公望は応えず、再び机に向かおうとしていた。
(また、この人の頭の中には戦が展開されるのだ。
頭の中でたくさんの人が死んでいって。
彼の大切な人達が戦って、死んでいって)
仕方ない、戦なのだから。
邑姜はその背中を気怠げに見やって、爆弾を一つ落としてみる。
「貴方の、子供を産もうかと」
その一言に、太公望はぎょっとする。
「怖ろしいことを言う女だ」
爆弾は効果的に爆発したらしい。
太公望は本当に怖ろしげに振り返って邑姜を見る。
「そうかしら」
平然と、嘯くように。
「そういうことは思っていてもあんまり言うな。男は引く」
武王なら喜ぶかも知れないが。
「心得ます」
邑姜はニッコリ笑って。
冗談にした。
戦争中だから。
いつ死ぬか解らないから。
明日もこの人が笑っているとは限らない。
明日も私が叱咤できるとは限らない。
後悔などしたくないから。
死ぬ前に、一度本当のことをしようと思った。
今までのどれも、嘘ではなかったけれど。
それが永遠に続くものでなくて構わない。
私と貴方の人生は、交錯しても並行には進まないから。
こんな事で貴方が心に留め、私を忘れないのなら。
仮面など取って女になろうと思う。
貴方に唯一勝てる、一人の女に。
「ハッタリなんですよ。本当は弱いんです。貴方と同じ」
そう言ってみたけれど、少年の顔をした彼女の曾祖母の兄は
「どうだか」
と短く答えるだけだった。
机上の左手を取り上げながら、もう邑姜には視線すら与えない。
天幕に再び、蝋燭が灯った。
fin