愚かさの真実




はじまりは麗しい姉妹愛にさかのぼる。・・・・多分。
妲己は声をつまらせて貴人の手を握った。貴人は目を伏せたまま答えない。
色の冷めた、震えるその唇が何よりもの答ではあったのだが。
妲己はそっと涙をぬぐい、雄々しく手を振り上げる。
「決めたわん! わらわは貴人ちゃんに全面的に協力する!」
「でも・・・姉さま・・・」
「でももクソもないわん!! 実力行使あるのみ! 既成事実を作ってしまえばこっちのものよ!」
「わーい! 喜媚も協力☆」


「と、いうわけなのよ。太公望ちゃん」
「・・・・・・・・・・」
果てしない沈黙が続く。
「ごめんね」
何を思ったのか一応謝ってみるというらしくもないことをして、妲己は手に持った扇でひらひらと美しい顔を煽ぐ。
「・・・・・ちょっと待て」
眉間に手をあてた格好で、太公望が顔を上げた。
「で、こんな所に人を無理やりつれてきて、わしに何をしろと?」
「あら。あなた、以外とおバカね。寝台の上で男と女が向き合ったら、することといったら一つでしょう?」
「・・・・・・・」
目を上げる。自分は豪華な寝台の上。目の前には、白い夜着をはおった姿で目をそらせ、両腕を胸の前で組んだ王貴人。
だだっ広いその部屋の窓際には、クッションにもたれ足を組んだ妲己と喜媚が並ぶ。
妲己が手を広げ、爽やかな笑顔でのたまった。
「さあっ、わらわたちにはお構いなくっ!」
「そんなん、できるかっ!!」
「太公望は、私のことが嫌いなのね・・・・」
貴人が泣き出す。殷側の実力者三すくみ、プラス、このわけのわからない状況。太公望の全身から冷や汗が吹き出す。
「好きだとか嫌いだとか、そういう問題じゃないっての!」
「いいえ! 男だったら、無言で貴人を抱くべきよん! 貴人はあなたのことが好きだって言っているのよ? 据え膳食わぬはなんとやらってね」
「か、体の関係よりもまず、人間性だとか相性だとか、そういうことがまず・・・」
太公望も混乱して、アホな反論で時間をかせごうとする。
「いいえ! まず体でわかりあわなきゃ!」
「喜媚もそう思うロリっ☆」
さすが妲己三姉妹。言うことが違う。
「さあ、貴人。わらわ達がちゃんと見守っていてあげるからねん。あなたの想いが叶うのよ! わらわ達もうれしいわん」
「太公望、私のこと、嫌い? 触れたくないぐらい、嫌いなの?」
涙ぐんだ目で、貴人がせまりくる。夜着の胸元がはだけて、かなりあぶない。
「あ・・・・あわわわわ・・・・」
ずりずりと貴人から逃れるべく寝台の端へ端へと逃げながら、太公望は首を振った。死ぬ思いだった。



* * * * * 



「あらん、太公望ちゃん。あなたに会うのは、「アレ」以来ねえ」
「ふっ・・・・・・」
妲己の顔を見た瞬間思い浮かんだのは、間違えなく「アレ」に他ならなかったが、触れるには痛すぎるその記憶をとりあえず頭から追いやって、太公望は誤魔化すように鼻で笑った。
「あれって?」
それなのに、アホ楊ゼンが四不象に聞いたりするから太公望の気分は最悪である。四不象もいちいち答えるし。
「太上老君を探す旅の途中に、ご主人が妲己に連れさらわれる事件があったんっすよ。すぐ帰ってきたんですけどね」
「そんなことより!」
不自然に高い声で四不象を遮り、太公望は宝貝を構えた。いつもとはうってかわった気迫のこもった目で妲己を見据える。
「そうそうおぬしの思い通りになるとは思わんことだな、妲己」
「あらん・・・・それは・・・」
太公望の宝貝を見て、妲己がすっと目を細める。そして唇の端を上げるようにしてうっすらと笑った。
「・・・・まさかスーパー宝貝を持ってくるとはね」
「疾っ!!」
全ての気をこめて、力を放出する。妲己のテンプテーションが、太公望の周囲から無効化されていく。
二つの力がせめぎあい、反発し、侵しあう。飛びかける意識を必死でつなぎとめ、太公望がさらに気を込める。
妲己が押される。
しかし彼女は余裕の表情を崩さない。腰に手を当てた女王様ポーズで、大きなよく通る声で言った。
「わらわに勝とうだなんて、生意気よ、太公望ちゃん!! たたないくせに!」

たたないくせに・・・・たたないくせに・・・・・たたないくせに・・・・・

その声は、遠い山まで届き、いくつものこだまとなって帰ってきた。周軍も殷軍も、全ての人間がその声を耳にした。
しばしの沈黙が、その場を支配した。
太極図を構えたまま、太公望があせってまわりを見回す。
「お・・・おい・・・、おぬしたち・・・・」

おいおい聞いたか? 周の軍師サマ――――――たたないんだってよ。

そんなつぶやき声が何百何千何万の兵たちの口にのぼり、やがてどよめきへと膨れ上がる。
貴人の涙ぐんだ声がそれに拍車をかける。
「そうよ! 太公望、よくも私に恥をかかせてくれたわね!! 本当に本当にあなたのこと、好きだったのよ!
私の全てを捧げようとしたのに、まさか・・・・まさか・・・たたないだなんて!!」
その場の全員が顔を赤く染めた貴人を振り返った。そして、その美貌と抜群のスタイルを認める。

しかもあんな超絶プリンちゃん相手に――――?!

戦場のテンションは妙な方向に盛り上がり、収拾のつかない状態。
予想もつかなかった、アホで間抜けで、しかし抜き差しならない状況へと追い込まれた太公望は必死の抵抗を試みる。

「な、何を言っとる! あんな状況じゃ、たつもんもたたんわ!!」
妲己がニヤリと笑った。太公望は餌にひっかかったのだ。まぎれもなく。
「あら。認めるのねん? 太公望ちゃん」

おいおい、本人たたないって、認めてるぜ――――?!

たたない軍師が率いる周軍なんかに負けてたまるかと、おされていたはずの殷軍の士気は高まるばかり。
反対に、たたない軍師に率いられる側の周軍の士気は、下がりっぱなしである。
妲己の一言で、戦況は著しく殷側に有利な展開へとなだれこむ。
理解の範囲をあまりに超えた展開に空白状態だった周側の道士達であるが、そのピンチに楊ゼンがまずハッと我に返った。
(・・・い、いけない、このままじゃ! 僕が何とかしなきゃ!)
蝉玉のほうへダッと走り寄り、太公望に向かって叫ぶ。

「さあ、師叔! これを見て、たつことの証明を皆に示して下さい!!!」

しかし、楊ゼンの手が蝉玉のスカートをめくるよりもはやく、蝉玉の拳が楊ゼンの頭をぶんなぐっていた。
「あにすんのよっ、このボケッ!」
「蝉玉君!この緊急時、君はパンチラの一つぐらい我慢すべきだよ!」
「真面目な顔してアホなこと言ってんじゃないわよっ!」
「な、何が何だかもおわかんないさ・・・」
天化が口からポロリと煙草を落とし、脱力した声でつぶやく。
「わかるのは、なんか負けそうってことと、師叔がたたないってことぐらいさ・・・・・」
「そうかあ・・・たたないのかあ・・・。太公望・・・。男として、それは辛いよなあ」
一方姫発は、しんみりとした顔で鼻をすすった。
「ホント、同情するぜえ? 太公望・・・」
「だ―か―ら―――! おぬしたちっ! 違うっつ―の!!」
次々とつかみかかってくる、殷に寝返ったらしい周の兵士を突き飛ばしながら、太公望が赤い顔でわめく。

「あのこっわーい妲己の目の前で、しかも妲己の妹相手に、おぬしらはたつか?! 普通たたないって!! 絶対!!」

一瞬周囲が沈黙し、一同、妲己と貴人を振り返る。そして次に、周の道士達へと注目が集まる。
最初に沈黙を破ったのは、姫発だった。

「いや、俺はたつね」

次に、土行孫。
「俺も」

続くのは、楊ゼンと天化。
「僕も、たちますね」
「俺っちも、たつさ!」

結局、周の勝利よりも、己の男としての意地とプライドを優先した結果が、これである。
「だあああ〜〜〜〜〜もお〜〜〜〜おぬしたち〜〜〜〜〜〜」
再び喧騒と戦いの狂乱が戻り、兵士達にもみくちゃにされながら、太公望が情けない声をあげる。
妲己と喜媚は、高見の見物をきめこみ、高笑い。
ただ貴人だけが、複雑な表情で太公望を目で追う。
「っていうか、まじヤバ目?」
いったんは太公望を裏切っておいて、姫発自身も兵に斬りかかられ、その切迫した状況に気付き楊ゼンを振り返る。
「ちょっとどーするよー?! 俺たち、太公望がたたないせいで、全員ここで玉砕かあっ?!」
楊ゼンも、殷と周、両軍入り乱れの混戦状況の中で四方八方の敵に剣で応戦しつつ、怒鳴り返す。
「そんなこと言われても、師叔がたたないことなんて、この僕だって計算外ですよっ!」
「そんなこと言っちゃダメさっ! たたないのは、師叔だって仕方がないことさっ!! かわいそうさ!」

「も・・・・もう・・・・何が何だか・・・・」
たたないたたないと連呼され、太公望のプライドはずたずたである。ほとんど修復不可能なほどの精神的ダメージを受け、がっくりと膝をつく。そこに振り下ろされる剣。太公望、ここまでか?! と誰もが思った瞬間。
颯爽と風のごとく現れて、太公望にまさに斬りかかろうとしていた兵士を馬の上からなぎ倒した小柄な影は。

「邑姜さんっ!」

ぱああっ、と、四不象の顔が輝いた。
「我こそは羌族が頭領、羌邑姜! ・・・・って、何だかものすごいピンチみたいね・・・来て早々・・・」
「大変なんスよー。ご主人がたたないとかいう話から、こんなことになっちゃって・・・」
「ちょっと様子は窺っていたから、だいたいの状況はわかるわ」
見事な剣さばきで、敵を難なく斬り伏せながら、邑姜は戦況をすばやく見て取る。
そしてりんと響く声で、状況の立て直しをはかる。

「みんな! よく聞いて! 周の軍師がもしも本当にたたないのだとしても、それはもしかしたら明日の我が身よ!!
あなた達だって、いつたたなくなるかわからないでしょう?! 嘲笑し見限るよりも、すべきことは、同じ男として、暖かく包み守ることではなくって!?」

あ、明日の我が身っ!!?
どよめきが走った。考えてみればそれもそうなのである。男の性は、以外と繊細なのだ。
同じ男だからこそ、太公望の辛さは身にしみてわかる。もしそうなったら、という恐怖も。
姫発は一瞬ぽかんとし、そしてははっ、と短く笑って馬上の姜邑を見つめた。
「プリンちゃんにはあと一年ってとこだけど・・・なかなかいいこと言うじゃねえか」
そして、あまりの展開に茫然自失状態の太公望に、ちらりと詫びるような視線を向ける。
「安心しな! 太公望! 俺にまかせとけって! あんたは俺たちが守る! いくらたたなくったって、俺たちの軍師にゃ変わりねえ」
懐から取り出したメガネを装着し、兵法の本を開き兵士に激を飛ばす。
「おらおらっ、お前ら、俺の言う通りに動けよ!?」
『おおおお―――!!!!』
邑姜の言葉に目が覚めたらしい周の兵士が、武王の言葉に槍を天につきあげて怒号とともに答える。
今初めて、周軍の気持ちが一つになった。
武王が志に目覚め、「たたない軍師を守る」という、崇高な目的のもとに、男達の戦いが始まる―――


その様子を確かめてから、馬の方向をかえ、兵士達の波を抜けて邑姜が向かう先は、妲己三姉妹。
顎をそらせた不敵な笑顔で妲己は少女を迎えた。
「なかなかやるわねん」
「あなたもね」
そして、永の友人のように優雅に微笑みあう。
刺すような殺気が、絡みぶつかって、時を凍らすような二人の微笑。
ここから先は、女の戦いである。


一方太公望はというと・・・・・・
太乙と雲中子に助けられ、戦地から離れた静かな森の中に座り込んでいた。
「君にね、いいものがあるんだよ」
太乙は背負っていた風呂敷包みから妙ちくりんな機器を取り出し、ドラえもんがするように空にそれをかざす。
「たたない君へのお助けグッズ! 名付けて、『ボンジョルノ、軍師サマ』!!!」
誇らしげに、太乙の鼻の穴がふんっ、と広がる。
「これさえあれば、どんな不能であっても・・・・・・・・・って、あれ?」
反応がない。
太公望は、どよーん、と暗い影を背負って顔を上げもしない。
「ダメだね。そんなんじゃ。やっぱ不能は、内側から直さなきゃ」
雲中子が取り出したのは、おなじみの白い錠剤。
「なーんだ、バイアグラじゃん、それ。つまんない」
太乙の言葉を、ふふふんと鼻で笑って雲中子は一蹴。
「おや、ただのバイアグラに見えるかい?」
「君特製とかいうんなら、ますます効能は期待できないね」
見えない火花が二人の間に飛び散る。
そしてこれは、オタクの戦い。



男達と女達とオタク二人が熱い戦いを繰り広げる中、太公望は独りぼっちで溜め息をつき続けた。
100回も200回も。
もしかしたら自分は、後世の歴史に、希代の『たたない軍師』として、名を残してしまうのかもしれないなあ・・・
などと、暗いことを考え続けながら。
本当は、たたないわけじゃないんだがのう・・・・
でも、真実は常に闇の中なのだ。いつもいつも、本当のこととは関係のないところで世界は回っていく。
あまりにも心が痛くて、独りぼっちで、だから太公望はあることに気付く。
戦う理由なんて、みんなクズだ。
それはたとえば男同士のみみっちい連帯感だったり。女の意地や、オタクのプライドだったり。
戦うやつらは、みんなバカだ。
世界で今一番情けないのは間違いなく自分だろうけど、一番のバカ野郎は、それに気付かず戦い続ける奴等に違いない。
戦うことの愚かさを知ってもなお戦うのなら、もっともっとバカだ。
「あーあ・・・。全部終わったら、出家でもしようかのう・・・・」
悟りでも開けそうな気分で空を見上げた。
乾いた青の中に浮かび上がる真昼の月が、目にしみて少しだけ涙ぐんだ。






終。