ちょー公明 ―序章―
●コンロン歴8726年 『玉虚宮』
「清源妙道真君!楊ゼン王子!」
古代的なようでいて、妙にSFちっくなハイテク機器満載の玉虚宮。そこに通じる大階段の途中で、楊ゼンは足を止めた。傍らに白鶴童子が舞い降りてきて、ぴっと背をそらせた。
「まだ帰らないで下さい。あなたに面会を申し込んできている人がいるんです」
「誰です?」
「あ、宝貝人間なので、人と言うには語弊がありました!すみません。面会を希望されているのは馬元という方ですよ」
「馬元?」
考えに沈む楊ゼンの横顔に、白鶴は内心、ツッコミを入れずにいられない。
『どうしてこの人はいつも自分の見せ方にこだわるんだろう・・・今日も角度がこちらから見て45度。誰も鑑賞したいとは言ってないって』
白鶴は嘴が押さえようもなくむずむずしてきた。彼が『さっさと返事をしろ』と突っ込もうとした時、楊ゼンはやっと口を開いた。
「ああ、金鰲側から、道士が派遣されると聞いた覚えがあるな。でも、どうして僕に会いたいのだろう?」
「さあ、あちらの方でも噂に高い、天才道士に会ってこいと言われたんじゃないんですか?」
白鶴のきょとんとしたような顔を見て、楊ゼンはすかした笑みを浮かべた。
「よし、会おう。その、馬元というものに」
◆殷歴☆★■年 『ギアナ高地』
どこまで行っても脳天気な青空が広がる草原。
切り立った崖に囲まれていて、無謀な若者が「ファイトー!いっぱぁーっつ!」などと言いながら登る以外は、みんなおとなしく観光道路を使うような所である。
突如、震度八の地震に襲われたトウ九公一行は、持ってきた食料、測量計、テントなどをそこら中にばらまいて、尻餅をついていた。突然割れた大地に飲み込まれそうになったトウ九公は、未だショックから立ち直っていない。
助けてくれた者がどんな輩か確かめもせず、九公は平身低頭して礼を言っていた。
「貴殿のおかげで助かった。わしの命を助けてくれた礼に、わしの一人娘をやろう」
「僕は見返りを望んだ覚えはありません」
声質とまったく釣り合わない丁寧な口調。そのダミ声とずんぐりした容姿から考えれば、無理からぬ事でもある。
「去れ、トウ九公。二度とこの地に足を踏み入れるな」
やっと顔を上げた九公は、目の前のりりしいモグラの姿に、再び腰を抜かしたのだった。
●コンロン歴8727年 『終南山』
馬元が崑崙山脈に来てから、一年が過ぎた。
雲中子の元に預けられ、日々研究にいそしむ彼は、暇を見ては楊ゼンの元に通っていた。
馬元は、仙人界でも珍しい宝貝人間で、その仕組みは楊ゼンの興味をかき立てるのに充分だった。それだけではなく、ごく稀に話してくれる金鰲島の最近の動向は、楊ゼンにとってかなり気になるところだった。毎日会っていても、話の尽きることはない。
この一年で、馬元は10センチも背が伸び、プリティな赤ほっぺ少年からスマートな青年へと成長していた。
その裏に、雲中子の密かな実け・・・・・・貢献があったことを知る者はいない。
◆殷歴☆●■年 『ギアナ高地』
この、人にあらざるかわいいライン。
雑草のように力強くはえている黒髪。
三山関総兵の愛娘、トウ蝉玉は、ふかふかな黒髪に顎を乗せて、くすくす笑いながらモグラを抱きしめていた。
「ぐええええ、く、苦しい・・・」
モグラは今にも息絶えそうな声を出す。ただでさえダミ声なのに、今は喉が圧迫されて聞くに耐えない音になっている。が、蝉玉には気にならない。
「ハニーったら、照れなくてもいいのよ」
満面に笑みを浮かべながら、蝉玉は頸にまわしていた手を下ろし、たっぷりとした腹を撫でる。
モグラは久々に落ち着いて吸い込めるすがすがしい空気に涙をにじませ、蝉玉のことを考えていた。
下ろしていれば、年相応のセクシーさを醸し出す赤い髪。ほっそりとした輪郭に、くっきりと大きな瞳が映えている愛くるしい顔。
『どうしてこんなに可愛いのに、性格と趣味は普通じゃないんだ』
このままではいつ押し倒されるかわからない。危機感を感じているモグラは、うっとりしつつ自分を撫でている蝉玉に、恥を忍んで例のことを頼んだ。
「蝉玉さん、今から一緒に西にある闘技場に行ってくれませんか?」
蝉玉はその申し出に顔をしかめた。
「ええっ、闘うの?あたし結構強いから、ハニーを傷つけちゃうかもしれないし・・・」
「そうではなくて・・・実験の助手をしてもらいたいんですよ。僕が今まで研究してきた成果を試すには、広い場所の方がいいから」
「わかったわ。夫を助けるのは妻の努めだもの。協力するわ!」
蝉玉はモグラの襟首をひっつかんで、だかだかと闘技場へ向かった。
●コンロン歴8727年 『崑崙山・中腹』
楊ゼンは信じられなかった。
この自他共に認める天才が、背格好は同じでも、生まれて数年しか経っていない道士にあらがえないなんて。
何がおかしいんだろう。馬元は全体的に泣きそうな顔なのに、かすかに笑いの形に口をゆがめている。
馬元は、指先まで硬直している楊ゼンに、大きな輪を投げつけた。
「清源妙道真君!――――汝の変化の力を全て封じる!」
馬元の言葉と共に、輪は楊ゼンの首に巻き付いて、ちょうどぴったりのサイズになった。
「アンゴルモアよ!清源妙道真君を導き、かの地に運び給え!!」
◆殷歴☆●■年 『ギアナ高地・大理石の闘技場』
質素だが、広い屋敷を出ると、あとは見渡す限り平地が広がっている。屋敷より高いものは、この高地にはない。
その一角に、屋敷が3つは建てられる広さの闘技場がある。闘技場は白い大きな石が敷き詰められており、日の光を浴びて眩しく光っていた。
「これを持って下さい」
モグラは一本のレイピアを蝉玉に渡し、自分でも一本持って彼女と正面から向き合った。
「さきほどの説明は、全部覚えていますね」
珍しく真剣な表情で、蝉玉はうなずく。確認すると、モグラはあらかじめ用意してあった台に登り、蝉玉と背の高さをそろえる。
「では・・・・・・」
モグラは精一杯手を伸ばして、剣を高々と空に向かって突き刺すと、蝉玉の剣と交差させた。
蝉玉が先に、凛とした声で呪文を紡ぐ。
「卵の殻を破らねば、雛は生まれずに死んでいく」
モグラがそれに続けて言う。
「気高き城の薔薇よ、世界を革命する力を示してくれ」
二人は視線をひたと合わせると、最後の呪文を共に叫んだ。
「バニーフラッシュ!!」
呪文が終わった瞬間、モグラの体の中からどこかで見たような閃光が発せられ、蝉玉はめまいを起こして倒れ込んだ。
光は、モグラに向かって収束していく。やがて、その光がモグラの体内にすべて吸い込まれ、周囲に露のように細かく砕けて散っていく頃、蝉玉はくらくらする頭を降りながら起きあがった。
「ハニー、大丈夫?」
腰が抜けて立ち上がれないため、何とか這ってモグラの方に行こうとし・・・彼の変わり果てた姿を見て絶叫した。
「イヤ――――――――ッ!」
モグラのいた位置には、その倍の大きさの者がいた。
マリ○ミゼルのような、ビジュアル系妖怪。手には大きな三つ又の武器を持っている。見た目は恐ろしげだが、蝉玉の悲鳴に驚き、うろたえていて、威厳がなくなっている。
「ああ、失礼しました。これで・・・」
ボンと音を立て、楊ゼンは半妖態から人間形態に変化した。
「見苦しくなくなったでしょう。驚かせてすみませ――――」
「信じらんな――――――――い!かわいくな――――――――い!サイテ――――――――!」
自分に絶対の自信を持っていた天才君はよろめいた。
今、この女はなんと言った?
青くなってよろめいた楊ゼンをがっしと掴み、蝉玉は涙を飛ばしながら詰問した。
「ちょっと、あのぽこぽこの可愛いおなかは!?黒い髪は!?サイコーのチャームの輪郭は――――!?」
「だ、だからそれは僕にかけられた術で」
「術ゥ――――!?ナニソレ――――!!」
蝉玉は天才君を離すと、身をよじり、頭を抱えてわめきまくった。
「あたしのハニーが、実はこんなありきたりの優男だったなんてー!!」
顔を怒りで赤くしながらも、楊ゼンは蝉玉が落ち着くようになだめてみたり、黙ってみたりして3分耐えた。
しかし、蝉玉は一向に冷静にならず、天才君の忍耐力も尽きてきた。
「静かにしてください」
無表情で蝉玉の首に手刀をおろすと、彼女は黙ってうつむいた。
客観的・一般的には、気絶した、とも言う。
楊ゼンは哮天犬に蝉玉をまかせ、陽気な足取りでモグラになって以来住んできた、少し侘びしげな屋敷に戻った。
「さて、帰り支度でもするか」
久々に本来の姿に戻った楊ゼンは、今、心から笑った。
今日の天気のように、晴れ晴れとした、さわやかな笑顔だった。
第一章
自室に戻った楊ゼンは、モグラだった時にはやる気が起きなかったブラッシングを始めた。
まず、毛先を丁寧にとかす。これに20分。
次に、中程から毛先までをとかす。意外に時間がかかって、48分が過ぎた。
そして最後に全体を梳く。2時間、じっくりと。
普通に梳いていたらこれほど時間もかからないのだが、久しぶりの艶やかで繊細な髪の感触に、彼は思わずうっとりと手を止めてしまうのだった。とかした後の髪は、山奥の小川のように、さらさらと優しく掌の上を流れる。
充分に触覚で自分を堪能した後、楊ゼンは大きな鏡の前に立った。
腹に余分な肉が付いていない。
団子っ鼻でもない。
それに第一、体中を満たしている『気』が違う。モグラの時は土中を移動するのが得意だったが、それ以外はまるっきり駄目だった。今なら空も自由に飛べるし、きっと八ヶ岳だって一撃で粉砕できる。
鏡の前でポーズを取っていた楊ゼンだったが、髪をふあさっと掻き上げたとき、はっとした。
「あ、哮天犬もブラッシングしてやらないと」
「ちょっとお、いつまでブラッシングしてんのよ!」
蝉玉に声をかけられ、楊ゼンは我に返った。まだ日の高い内に庭に出て、哮天犬をシャンプーで洗ったりリンスをしたり枝毛を切ったり改造したりしていたのだが、いつの間にか辺りは薄闇に包まれていた。
「夕食の支度が出来たんだから、さっさと食堂行きましょ!もうその子はちゃんとキレイになってんだから」
ぶっきらぼうに、それでもどこか優しく蝉玉が言う。楊ゼンは彼女に腕を取られる寸前に、哮天犬を袖に戻した。
蝉玉が来るまで、楊ゼンは自炊していた。材料は、いくら取っても食料庫から湧いて出てくる程ある。乱暴に気絶させられたのに、自分を見限らない蝉玉に、ちょっと後ろめたさを感じた。
「食事・・・作ってくれたんですか?」
さすがに良心がうずいて、楊ゼンは遠慮がちに聞いた。腕を組んで、というより、ほとんど引っ張られるようにして楊ゼンは蝉玉の後に続く。彼女の三つ編みに顔を叩かれないようにするのは、なかなか難しい。
「当たり前でしょ。いっぱい食べて、ぐっすり眠っておかなきゃ、旅ができないじゃない」
その言葉のなにかが神経に引っかかったような気がしたが、とりあえず食卓を見渡し、モグラの時よりまともな食事にありつけると知って、楊ゼンは質問を取りやめた。
食卓について一番最初に目に付いたのは、大皿に盛られたフルーツの山だった。テーブルの真ん中に堂々と陣取ったそれは、どぎつい真っ赤な皮のおかげで、山でふんぞり返っている盗賊の親分といったような印象がある。名前もごつい『ドラゴンフルーツ』は、しかし見た目を裏切って中身はあっさりとしたアケビのような味だった。蝉玉のお気に入りである。
椅子に座ると、蝉玉がラーメンを目の前に置いた。細打ちのしょうゆラーメンだが、けったいなことに、そのうえにはマヨネーズがかけてある。
それを見て、楊ゼンは今日のコンセプトがわかった。
『見た目はとっっっっても悪いが中身は(人によっては)結構おいしい』である。
蝉玉が箸をつけるのを待って、とりあえず、楊ゼンも食事に集中し、あっという間に半分ほど平らげた。
フルーツを食べながら、蝉玉がやっと会話を始めた。
「楊ゼン、あんた、崑崙に戻るんでしょ?」
モグラの時より、だいぶ砕けた調子で蝉玉が話す。
超絶美形の姿になったのに、自分に全くときめいてもいない蝉玉にちょっとむっとしつつ、楊ゼンは頷いた。
「だったら、あたしも一緒に連れてってよ」
「は?」
意外な申し出だった。
「安心してよ。別に旅費とかあんたに出してもらおうって思ってないから。道案内してくれればいいだけなんだし」
「でも、僕についてきてどうするんです?モグラでない僕になんか興味はないんでしょう」
楊ゼンはふつうに喋ったつもりだが、少しすねているような感じになってしまった。
クスリ、と笑って、蝉玉は言う。
「あったり前じゃない。一般的にはあんたってイイ男だけど、あたし好みじゃないもん。あたし、あんたが変化のモデルにした人に会いたいのよ。いるんでしょ?」
「ええ、確かに・・・」
ちょっと苦い思い出がよみがえってきた。
あの時、あんなことをしようとしなければ・・・。もっとほかにも方法はあっただろうに。僕にふさわしい、エレガントな方法が。
「だからさ、あたしをその人に会わせてよ。あたし、故郷の方ではもうお嫁に行っちゃったってことになってるしさ、旦那がいないと戻ろうにも戻りづらいの。それに、この家を造った人にもあって、新居の相談とかしたいしね」
「新居・・・」
「ここ、住み心地いいけど、あんたの家なんだから、あたしとハニーに使われるの、イヤでしょ?それに、あたしもなるべくパパのそばにいてあげたいし」
気遣ってくれているのか、それともただ自分のことしか考えてないのか、ちょっと楊ゼンには判断つきかねたが、とりあえず、無理難題ではない。
「僕を『あんた』と呼ぶのをやめてくれれば、同行してもかまいませんよ」
「やった!じゃ、明日出発しようね!」
蝉玉は楽しそうに、残りのフルーツ約20個を片づけ始めた。
崑崙山脈の北、終南山の横穴を使った、小さな研究室。
この深い原始的な穴の奥にまで、外の激しい修行の様子――――ありていに言えば、悲鳴・怒号・炸裂音に破壊音――――が聞こえてくる。
そんな騒音にも動じることなく書物を見ていた馬元だが、電池の切れかかった笑い袋のかすかな音に、手にしていた巻物を取り落とした。
笑い袋が落ちて、下にあった箱庭が壊れている。
どういう経緯があって笑い袋などというものがここに来たかわからないが、神経過敏になっていた馬元は冷や汗をかいた。
「どうした、馬元」
馬元を精神的に苛んでいる者に急に声をかけられ、彼はおそれつつ床に伏した。
「ご主人さま」
「どうした、と聞いている」
「はっ・・・」
彼の主はアクセサリーをならしつつ部屋に入り、馬元の部屋の中を無遠慮に見回す。
そうして、部屋の片隅にあったジオラマセットが、ひび割れているのを見つけた。
「ほう、プリンスにかけた術が解けたか。あのファルスのような間抜けな姿から元に戻ったか――――」
主は可憐な声にまったくそぐわない、冷たい調子で言い放った。
「・・・・・・おまえが、あいつを間抜けな姿に固定して、オレの前から遠ざけたのも、もう2年も前のことになるな」
馬元は苦しそうに眉を顰め、じっとその言葉によってもたらされる苦痛に耐えた。
「術を封じる方法・・・・・・を解くのは、おまえが使った禁呪ではただ一つ、例のキメ台詞・・・・・・フン、どんな女だ?そんな恥ずかしいことをやってのけたお気楽者は」
そして主はにっこりと笑うと、手のひらの上に半透明の直方体を浮かび上がらせた。
「お、畏れながらご主人さま、楊ゼン王子が戻ってこられても、ご主人さまの妨げにはならないと思います。ですからその術は――――」
馬元の主は、外交用の優雅な微笑みを浮かべたまま、馬元の顎を蹴り飛ばした。馬元は壁に飛ばされて、仰向けになってうめきをあげる。
「身の程知らずだな、馬元。もう一度、オレがおまえにとってどういう存在か、思い出させてやろうか?」
高いヒールのついた靴で頭を踏みにじりつつ、主は笑みを酷薄なものにしていった。
「正直な裏切り者よ。親友がずたずたにされていくところを黙って見守るがいい。そして墜ちろ」
術が解けた楊ゼンは、哮天犬で金鰲まで飛んでいった。
ただ、蝉玉の頼みで、目立たないよう、町から離れた所に降りた。
町のはずれまであっという間に来たので、町に着くまでには時間がかかったが昼頃にはついてしまった。待ち合わせ場所を決めた後、楊ゼンは城下町に入っていき、蝉玉は楊ゼンの服を借りて変装し、こっそりと城下町に入った。
楊ゼンは、ちょうどやっていたバザールの中をぶらぶらと歩いていた。特に面白いものはないが、自分を熱いまなざしで見つめてくる女性の視線が心地よく、ついウキウキとして頬がゆるみそうになった。
露店をひやかすのも飽きて、適当な店に入ってパノンジュースを飲んでいるとき、妙なうわさ話が耳に入ってきた。
「よう、おかみ。サマースペシャルランチくれ」
「久しぶりだね。去年の夏以来じゃないか。今帰ってきたのかい?」
「おう、三日前に宿をとったばかりさ」
「じゃあ、まだ知らないかな?三山関のトウ九公の一人娘、とうとうケダモノと結婚したらしいよ」
「うーん、前から人間外の友達しかいないから、怪しいとは思っていたが・・・しかし父親はまともだろう?よく許したな」
「それがさ、父親の方は盆だから里帰りさせろだの、新年の挨拶をしに来いだの、姪の従兄弟の嫁の兄夫婦に子供が産まれたからお祝いに行こうとかって理由つけて、なんとか連れ戻そうとしたらしいよ。でも娘が意固地でねぇ。ここを出たら連れ戻されるってわかってたんだろうね。一歩も外に出なかったらしいよ」
「まあ、けだもの好きをのぞけば、器量も悪くないし父親思いで優しいいい子だったからな。ケダモノのほうが離したがらなかったんじゃないのか?」
楊ゼンは失礼な話だと思ったが、とりあえず突風を起こして旅人のヅラを飛ばすだけに止めておいてやった。
蝉玉は城下に来ると、こっそり自分の家に入り、袋を担いで出てきた。父親が心配しないよう、置き手紙もしてきた。
そして城の裏に回って、塀を軽々と乗り越える。
思った通り、会いたかった人は離宮(?)にいた。
「やっほー、黄氏!」
「あら、蝉玉」
蝉玉の控えめな大声を聞きつけて、蜂蜜色の髪を掻き上げながら、黄氏が庭に出てきた。少し濡れたような印象があるので、ひょっとしたら稽古の後、湯浴みをしたところかもしれない。
黄氏は、後宮の女性にしては簡素な服装をしている。気軽に庭に出てくると、茶室に誘うように片手を広げた。が、蝉玉は首を振って入り口に止まった。
「ごめんね。いろいろおしゃべりはしたいんだけどさ、ちょっと人待たせてるから・・・」
「モグラさん?」
「うん。これから彼の実家まで行くの」
黄氏はちょっと小首をかしげ、蝉玉の顔をのぞき込むようにした。
「長旅になりそうなのね。なにか、私に用意できるものはある?」
「パパに見つかりたくないの。でね、変装道具とかあるとうれしいんだけど。あたしサイズの」
「わかったわ。私のドレッサーから好きなものを選んでいって」
「それとね、アレの予備バッテリー」
黄氏はバッテリーを渡しながら、すこし寂しそうに微笑んだ。
「もう会えないのかしら」
「彼次第ってとこね。里帰りを許してくれたら、また遊びに来られるわ」
「そう・・・どうか、道中気をつけて」
「ん」
この王宮のなかで、蝉玉は異端だった。その強さゆえに。
あの子さぁ、乱暴者過ぎて美人が台無しよね。
女だって自覚、あるのかしら。
天然ボケだし。
髪型のセンスが絶対変よね。
そうして、親しいものは父や黄氏だけになった。
懐の広い黄氏だけが、蝉玉の唯一の女友達だった。
モグラのところに行くときも、黄氏にだけは挨拶をした。
今日もあってしまえば長話をしたくなると思ったが、そうもしてはいられない。
恋する乙女の強靱なハートで、楽しい誘惑を振り切った。
黄氏に貸してもらった旅装と、馬を二頭引いて、淋しいような、わくわくするような思いに心を揺らしながらバザールに戻ってくる。
楊ゼンはちゃんと待ってくれていて、期待半分だった蝉玉は、嬉しくて小走りに駆けていった。が、楊ゼンは蝉玉を見ると、なぜか引きつった顔をした。
「なによ、その顔」
「い、いえ。どうしたんです?その女らしい格好・・・」
蝉玉はいつもの露出度の高い服ではなく、黄氏に貸してもらった質素な全身を被う服を着ていた。そして髪は下ろし、頭の後ろ、下の方に丸くまとめていた。
「しっつれいしちゃうわねー。あたしはいつもセクシーでいい女じゃないの」
「すみません」
「ま、いいわ。さっさと行きましょ。あたしのハニーが待ってる崑崙山へ!」
変な髪型をやめたおかげで「大人の女」っぽい雰囲気になった蝉玉を見つつ、楊ゼンはちょっと惜しいことをしたかな、と胸中でつぶやいた。
つづく!!!!(はずだ。ねえ、達夫さん?)