成田山断郊レース大会の由来

昭和50年頃の断郊レース  成田山断郊レースは、第2次世界大戦後、青少年への希望と郷土復興への願いを込めて、印旛陸上競技倶楽部の先駆者である渡辺秀雄氏等によって昭和21年に第1回大会が行われ、50年にわたる伝統ある大会である。昭和50年頃の断郊レース
 以来、幾多の変遷を経て毎年2月に開催されてきたが、諸般の事情により昭和40年第19回大会を最後にやむなく中止となる。
その後、陸上競技愛好者や学校関係者により、復活の強い要望があり、市内在住在勤陸上競技関係者によって、青少年健全育成に寄与することと、成田市陸上競技の発展を願って成田市陸上競技協会を発足した。
 印旛陸上競技部より引継ぎ、成田山新勝寺からは物心両面の協力と理解を得て49年に復活して第1回大会が行われた。
 この大会は、起伏成田山公園の特設コースで、冬季トレーニングの一環、中学生の登竜門、競技力の向上、健全育成、地域の発展、親子で参拝を兼ねるなど、多様な目的を持つ人たちの参加で、県内でも類を見ない人気ある大会となる。現在のクロスカントリーの先駆けともいえる。

※写真(昭和50年頃)

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