青ヶ島(東京都)



 
伊豆諸島の八丈島は、昔から流刑地として知られ、「飛ぶ鳥通わぬ」とうたわれたほどの辺境の地でした。
 日本語の方言区分には諸説あってなかなか決着がつきませんが、八丈島方言を孤立した方言として扱うという点だけは、どの学説でも一致しています。あまりにも孤立した環境が、言葉にもあらわれているのです。

 その八丈島から更に南、ヘリコプターで20分ほどの場所にある小さな島が、青ヶ島(あおがしま)です。
 行政上は東京都八丈支庁青ヶ島村。人口200人強、日本で最も小さい村のひとつです。

 1997年の正月を、私はこの島で過ごしました。

 青ヶ島は長さ約3.5km、北北西に先が向いたカボチャの種のような姿をしています。
 膨らんだ方半分には直径2km弱のカルデラがあって、真ん中にお椀を伏せたような中央火口丘(丸山)があります。尖った方半分はカルデラ壁の北西斜面で、台地になっており、住民は台地の南半分にかたまって住んでいます。
 周囲は全て100m以上の切り立った崖、安全に海岸まで降りられる場所は、島の南端の港と、北端近くの石の浜だけ。東岸南寄りに計画されている2つ目の港は、絶え間無い崖崩れで工事が中断したままです。

 ヘリコプターで八丈島から近づくと、青ヶ島は航空母艦のように見えます。ヘリポートは集落の北端近くにあるのですが、ものの200mもずれれば断崖か人家、地面に降り立つという安心感がまるで感じられません。それでも、ヘリコプターは風速25m以下なら飛ぶので、「冬には欠航がアタリマエ」と言われる連絡船に比べれば、随分とマシなのです。

 台地の上は、強い風がしじゅう吹いています。秋は特にひどく、坂の下から上へ石が飛んでいくといいます。温暖な八丈島とは打って変って、草木にも人家にも亜熱帯の伸びやかさがありません。
 断崖に阻まれて漁港が築けず、食べる魚は釣って獲るしかなく、島暮らしなのに少しでも海が荒れると魚が食べられません。
 島の産業は、農業と牧畜。いや、牧畜といっても、出荷できるまでに育った肉牛を運び出す手段がこの島にはないのです。種付けをして子牛を育て、よその島の牧場に売る。当然、あまり良い収入にはなりません。

「何でわざわざ、こんな場所に人が住むんだ」

私が最初に抱いた感想でした。


 集落や村役場がある台地は海抜200〜300m、それに比べてカルデラの底はせいぜい100mほど。カルデラ壁に遮られて風が弱く、地熱もあるので、集落がある辺りよりも植物が青々としています。現に、かつては冬の間はカルデラの中で住み、気候が穏やかになってから台地に移ったといいます。

 しかし、そのカルデラこそが曲者。
 青ヶ島は前科者の活火山なのです。

 1652年、1670〜80年、1780〜85年に噴火の記録があり、どれもこのカルデラからの爆発的な噴火でした。
 特に最後の1785年の噴火いわゆる天明の大噴火は凄まじく、当時327人いた島民のほぼ三分の一が死んだといいます。残りの島民は命からがら八丈島に逃れ、約50年におよぶ差別と貧困の避難生活ののち、名主の佐々木次郎太夫の指導のもとに帰還を果たしました。

 ------いや、本当は、簡単に「帰還」などと言ってはいけないのかも知れません。
 青ヶ島には「還住(かんじゅう)」という言葉があります。佐々木次郎太夫による青ヶ島への再定住の事業のことです。天明の大噴火、八丈島での難民生活の日々、そして「還住」。2世紀以上も昔の話ですが、島民の間では、それらの記憶は決して風化していません。
 肉親たちの命を噴火で奪った恨みの島ではあっても、自然の厳しさが情け容赦なく襲い掛かる孤島であっても、島民たちにとっては、青ヶ島はかけがえの無い故郷。八丈島の南の海岸からは、晴れた日には青ヶ島が見えます。還住までの半世紀、島民たちは彼方に見える故郷の島を眺め、涙にくれること頻りだったに違いありません。
 
ただ「帰還」とか「島に戻る」という言葉では言い表しえない、
そんな重みを、私は
「還住」という言葉に見ます。


 
島民が悲願の還住を果たして1世紀半。
 郵便局ができ、学校ができ、曲がりくねった道を軽トラックやスクーターが走ります。
 天明の大噴火で噴出した分厚い溶岩流がのたうつカルデラでは、そこかしこに畑が開かれています。鹿児島のシラス地帯と成分や質が似た火山灰が多い土は島イモ(サツマイモの一種)がぐんぐん育ちます。島イモは小ぶりで、ふかすと大変に甘くておいしく、「あおちゅう」と呼ばれるマニア垂涎の焼酎の原料にもなります。最近はパッションフルーツも作付けされ、爽やかな酸味と素晴らしい香りのジュースに加工されます。
 天明の大噴火でできた丸山の山腹には地熱を利用した「ふれあいサウナ」が'92年にオープンし、島民とよそ者が一緒に汗をかき、地熱で蒸した卵や島イモを片手にのんびりと談笑しています。
 そのサウナの調子がおかしいとあれこれ点検して回っていたのが、なんと村の助役さん。
 「歩いて宿まで戻るのはしんどいでしょ」と軽トラックで宿まで送っていただきました。
 学校の先生や郵便屋さんは都区内からの単身赴任、着任や転勤の時には村をあげての宴会になるといいます。

 この村の駐在さんの名言録の一端を、ある常連釣り客から耳にしました------
留置場はあるけど、普段は野菜置き場に使っている。
あそこはヒンヤリしてて、ナマ物を置いとくのに具合がいいんだ。
だから、
留置場を使うようなことになるんなら、
事前に言ってもらわないと困る
んだよ」
 一番カタそうな警察がそんな調子のこの島、1日や2日のヘリの便の欠航で慌てふためいていたのは、仕事始めに間に合わないかも知れなかった私だけでした。

 地球の息吹に触れ、自然の猛威に脱帽し、浮世の垢を落とす。
 小ぢんまりした島での、実に盛り沢山な旅でした。


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