「日本は単一民族国家だ」と言ってのけた総理大臣がいます。
予決算の金額の端数を四捨五入できるように、少数民族の存在も
四捨五入の感覚で切り捨てられると勘違いでもしたのでしょうか。
北海道は戦前には大規模な土木工事が多く、とくに私の実家の
付近は炭坑が多かったことも手伝って、大陸から連れてこられた
朝鮮人・中国人の強制労働の記録が数多く残っています。
その影響でしょうか、小・中学校時代には学年に数人は在日韓国・
朝鮮人の子供がいました。
戦前、サハリンに住んでいたニブヒ人などの少数民族で、シベリア
での抑留が終わってから日本に渡った人々がいます。「日本軍に
協力したかどで抑留されたのだから」と。
そして何より、北海道はかつてアイヌ人の天地であり、今も
数万人のアイヌ人が生きています。
今にして思えば、私の実家は少数民族について身近に考える
機会が豊富にありました。私がそのチャンスを大事にしてきたとは
お世辞にも言えませんが。
私が最も生々しく少数民族問題に直面したのは、
高校生の時に姉と訪ねたウェールズと、
大学生の時に両親の通訳として行った
北アイルランドやスコットランドでした。
ウェールズでは、
いたる所に英語とウェールズ語の二言語表記が
みられました。例えば、駅の「出口」は
Way Out / Ffordd Allan
てな具合です。
左は北ウェールズの
アングルジー島にある
世界最長の駅名です。
あまりにも長いため
地元では普通“Llanfair-P.G."
(ランヴェアー・ピー・ジー)という
略称で呼んでいます。
北アイルランドは、アイルランドで数日を過ごした後イギリスへ
戻るために通過しました。長距離バスがベルファストにさしかかる
と、あちこちの集合住宅の中庭の上に、運動会の万国旗の要領で
旗がなびいているのです------ある場所ではユニオンジャック
ばかり、ある場所では緑・白・オレンジのアイルランド共和国の
国旗------一見閑静なベッドタウンの風景にまで、
カトリック系住民とプロテスタント系住民の対立が影を落として
いるのか、と、愕然としました。
大抵の場合、少数民族は政治的には弱者です。政治的な自由や
権利を奪われた民族にとっての拠り所は、文化です。
ケルト系の民族の間では、詩や物語や音楽が盛んです。
ウェールズでは各地で地域文化祭典が行なわれ、参加者が
自作の詩を朗読したり、歌をうたったりします。
この文化祭典の中で、ウェールズの“国歌”ともいうべき曲
Hen Wlad Fy Nhadau(「わが祖国」)がうまれました。
アイヌ人にはユーカラという叙事詩があり、数多くの物語が
代々語り継がれています。あるものは教訓的な内容であり、
あるものは神が人間界や神界を行き来しながら冒険する
内容であったりします。
スペインの東部、カタルーニャ地方は、少数民族カタルーニャ人が
人口の7割以上を占めます。
政治的には首都マドリッドのあるカスティーリャ地方に
ここ数百年来頭を押さえられていますが、
文化的先進地域は常にカタルーニャ地方でした。
建築家のガウディ、画家のピカソやミロ、
音楽家のカザルス、全てカタルーニャ出身ですし、
バルセロナオリンピックのマスコットキャラクター
「コビー」をデザインしたデザイナーのマリスカル、
そのバルセロナにオリンピックを呼び込んだ当時の
国際オリンピック委員会会長のサマランチも、
カタルーニャ出身の人間です。