鬼門 〜イシミカワ外伝〜
(2000.05.04・記)
鬼門一族のお城は、紅姫たちの都、田沢の都の北西、盆地をゆったりと流れる川のほとりの小高い丘の上にあり、鬼門の都がすべて見渡せました。川は南東に流れ、盆地を取り囲む山の間を縫うようにして平野へと出て、田沢の都へと続くのでした。
鬼門様の御子息、鬼門一族の若様は、格式ばったお城での生活を好まず、盆地の出口近くの川べりに小さな小屋を建て、お城のお仕事がないときにはそこで過ごすのを常としていました。川に鮎がのぼる頃には百姓の子供たちといっしょに鮎を釣り、猪が里に降りてくる頃には猟師を従えて猪を狩り、腕白だった少年時代そのままに野山を飛び回っておりました。
若様の小屋のすぐ後ろには小山があり、山を流れ下った3本の小川が小屋の前で1本になり、田沢の都へ続く川へ合流していました。百姓たちはこの小屋を「三河屋敷」と呼び、いつのまにか若様も「三河様」と呼ばれるようになりました。
「御身に何かがあってはお家の一大事でございます。せめてお付きの者だけでもお付けくださいませ」と家老が心配げにとがめても、三河様は一向に意に介しません。
「縁談のために着慣れぬ礼服をまとい、乗り慣れぬ牛車に乗ってはみたが、所詮は俺は田舎大名のせがれ。
猪狩りで猪に突き殺されたら、なぁに、弟や叔父たちがいるさ」
と笑うばかりでした。まぁ秘書課課長の気苦労なんぞお構い無しの社長ジュニアみたいなもんです (^ ^;
その頃、田沢や鬼門からはるか西、港を抱えた都の大湊様という殿様が、たいへんに勢力をたくわえ、東の都をうかがっていました。しかし、青龍光様がお仕えしているだけあって東の都の殿様のもとには知恵者が多く、都の守りはとても固く、大湊様といえども手出しができずにいました。
そんな折、大湊様のもとに「田沢の雪姫と鬼門の若殿との縁談が、実はうまくいっていなかったらしい」との知らせが、じつに半年遅れで届きました。大湊様は膝を打って喜びました。鬼門と田沢が手を組んでいないなら、大湊が田沢を攻めても鬼門に邪魔されずに済むかもしれません。いや、鬼門様をうまく言いくるめれば、鬼門は大湊に加勢してくれるかもしれません。田沢さえ攻め落とせば、東の都までは距離こそあれ要害はなく、一気に攻めのぼることができます。
ある夜、鬼門様のお城に、大湊様からの密使が届きました。
「東の都に謀反をはたらく者が田沢の家臣にいるので、こらしめるための軍勢を出す。何とぞ援軍をお願いしたい。嘘偽りのないしるしとして、鉄砲五百丁を献上つかまつる」
翌朝、商人のような風体の男が大きな牛車をひいてお城にやってきました。その牛車には、見たこともない最新式の鉄砲がたくさん積んでありました。
鬼門様は家来たちをお城に呼びました。
鬼門様と三河様を前に、家来たちがけんけんがくがくの議論を始めます。
「家臣をこらしめるだけなら軍勢を出す必要などないではないか。それに、青龍光さまがおられる田沢に謀反者が根を張れるはずがない。大湊こそ謀反者じゃ、田沢を滅ぼし、東の都を滅ぼす気じゃ」
「しかし、大湊と仲たがいして行き来が途絶えては、鬼門の都もいろいろな品物に事欠くことになる。困ったのう」
「では大湊と共に田沢を討てと言われるか。過日の縁談が進まなかったとはいえ、鬼門と田沢は兄弟家族のような仲。その田沢の領地に、大湊の鉄砲欲しさに土足で踏み入ったとなれば、鬼門の名に傷がつきまするぞ」
「いや、鉄砲は恐ろしゅうござる。我等に五百丁ただでくれてやれるということは、大湊はその何倍もの数を自由にできるということに違いありませぬぞ。大湊が全ての鉄砲を足軽に持たせたら、如何に我が鬼門の軍勢が勇敢だとはいえ、勝ち目はござらん」
「脅しに屈するは武士の名折れ!」
「大湊にむざむざ滅ぼされろと言うか!」
「皆の者、静まれぃ!」口々に言い合う家来たちを、鬼門様が一喝しました。
「確かに大湊は強国。正面切って刃向かうは愚の骨頂。しかし、田沢に対する我等の義理を無下にしては、天下の名折れ。つまるところ、我等はどちらにも加勢はできぬ」
「鬼門様、それでは大湊が承知せぬのでは・・・」
「わしが直々に返書を書く。筆と墨を持てぃ」
鬼門様はこのような意味の返書をしたためました。
『田沢の中の謀反者は、本来田沢の中で処罰すべきもの。外の者が踏み入ってこらしめては田沢の面目が立たないから、田沢と懇意な鬼門は表立っての加勢はできないし、軍勢を街道筋へ通すこともできない。しかし、大湊の軍隊が夜陰に紛れて百姓道やら山道やらをこっそり通るのは、一向に差し支えない。ただし、田沢の手前があるので、夜のことゆえ鬼門は気付かなかったということにしていただきたい。加勢を出さぬ以上鉄砲は不要だから、申し付けてくれればいつでも、何丁でも返す』
「さすが鬼門様、天下随一の知恵者」、家来たちは大いに感服しました。
しかし、鬼門様の隣の若殿様、そう、三河様だけは、独り浮かぬ顔をしていました。
縁談こそ破談になったとはいえ、雪姫を大事に思う心は変わっていなかったのです。
いえ、雪姫だけではありません。皆の目を忍んで物陰で青龍光様を想って涙に暮れつつも、「雪姫も、せめて顔だけでも出せば良いものを・・・」と自分を気の毒がってくれた紅姫のことが思い出されます。いつも雪姫に会えずじまいのまま鬼門へ帰る自分に「元気を出してね(^-^)」となぐさめてくれた桃姫のことが思い出されます。
・・・田沢が攻め滅ぼされたら、あの姫達も無事では済まない。父上が大湊にああ返事した手前、鬼門の家の者が大湊の軍勢を押し止めることはできぬ。しかし、あの姫達をむざむざ死なせたくはない・・・困ったものだ・・・
翌朝、三河様はお忍びで田沢に入りました。
田沢のお城の家臣は三河様の顔を覚えていて、三河様を奥へと招き入れます。
桃姫は遊んでもらえると思って大喜びです。どうも三河様を保父さんか児童館の指導員と勘違いしているようです
(^ ^;
鬼門の若様はあとで遊んでくれるからと桃姫をなだめすかして所払いをしおおせた紅姫が、表情を少し固くして三河様に向き直ります。
「大湊に不穏な動きがある、と青龍光様から便りがありました。鬼門様の耳には何か届いていますか?」
三河様は大湊からの密使のこと、鬼門様の返書のこと、包み隠さず話しました。
「そうでしたか・・・」紅姫は溜め息をつきました。「若様がお越しになったのは、やはりそのことでしたか」
「紅姫様、早くこの城を出てください。次の新月の晩、大湊は鬼門から田沢を攻めます。正面から戦いを挑んで勝てる相手ではありませぬ」
「いいえ、」紅姫は首をふりました、「大湊が攻め込んだこの城内がもぬけの空とわかったら、鬼門に内通者がいると疑われます。真っ先に疑われるのはあなたですよ、鬼門の若様。一国の御世継ぎたるもの、自分の御身や自分の国を危うくしてはなりませぬ」
「では紅姫様、どうなさるお積もりか?」
「ここにて大湊を迎え撃ちます。田沢の紅姫が敵に背中を見せて逃げたと知れれば、都の青龍光様が笑われまする。覚悟はしておりまする。わらわも、父上も」
「ではせめて、桃姫様や雪姫様だけでも・・・」
紅姫は少し哀しげに首をふりました、「わらわも、万が一の時にはそうするようにと諭してきたのですが、『姉上と離れるのは嫌じゃ』と泣くばかりで・・・」
重苦しい沈黙を破ったのは、雪姫の「きゃっ」という声でした。
「どうしました、雪や?」
「今日は天気が良いゆえ、野点に出かけようと思っておりましたが、茶器を運んでくれる者がおりませぬ・・・姉上、こちらの殿方は?」
鬼門の若様ですよ、と説明しようとする紅姫を遮り、三河様は深々と頭を下げました。
「鬼門の御館様の使いで参りました、三河石兵衛と申しまする」
その場の思いつきとはいえ我ながら妙な変名だ、と三河様は内心舌打ちしました。紅姫も吹き出しそうになっています。が、雪姫はどうやら信用してくれたようです。
「はじめまして、石兵衛どの、茶の湯の心得はありますか?」
「はっ、ほんのたしなみ程度なら。喜んでお供つかまつりまする」
「では姉上どの、この石兵衛どのに茶器を運んでもらってよろしいでしょうか?」
「え?・・・ええ、お前が構わぬなら」、紅姫は少し戸惑いました。あの人見知りが激しい雪姫が、初対面の殿方に野点のお供を頼むとは、思いもよらなかったのです。
こうして、フィアンセ時代には夢に見ることすらできなかった三河様と雪姫のデートが、なんとまあ実現してしまったのでした。
マイペースな雪姫のこと、とくに話題をふるでもなく、黙々と茶を立てては三河様にすすめ、二人並んで茶をすすりながらほけらぁ〜〜〜っとする、まぁおよそ若者らしくない光景が延々と続いていました。それでも三河様は満足なようで、野原に敷いた毛氈にちょこんと坐って茶を立てる雪姫の姿を、しげしげと見つめていました。
(あの時と同じだ。いや、あの時以上だ・・・なんと美しい・・・)
「どうなさいましたか?」
ふと気がつくと、首をかしげた雪姫の黒くて大きな瞳が、三河様の顔をのぞき込んでいます。三河様との縁談があった頃は少し青白かった頬には、今はほんの少し紅色が差しています。
「・・・い、いえ、別に・・・」、三河様はホオズキのように顔を赤くして視線をそらしました。失神していた雪姫を抱きしめてしまった、人生最高の接近遭遇(笑)のことを思い出してしまったようです。
(あの頃より顔色が良いようだ・・・あの縁談、姫にはよほどの重荷だったのだろうな・・・今は“タカさま”に愛されて幸せ、ということか・・・)
三河様の心は千々に乱れました・・・田沢様や姫達に逃げていただくことも、大湊の軍勢を蹴散らすことも叶わぬ以上、このままでは姫達を救うことはできない。せめて雪姫だけでも、このまま連れ出せたらいいのに。しかし雪姫を“タカさま”から引き離したら、雪姫は伏せってしまわれるだろう。では“タカさま”ごと救い出せば・・・いや、“タカさま”の正体すらわからないし、田沢の領内で勝手に人捜しの手勢を動かすこともできないし・・・
三河様の思考は、三河様と雪姫をすっぽりと覆う影に遮られました。
見上げると、頭上に金色の鷹が舞っているではありませんか。
「鷹さま!
鷹さま!」、雪姫は立ち上がって空を見上げて叫びました。
「どうか、わらわを連れて行ってください!
あなたのことが好きですと申し上げたわらわを、
あなたはその翼で優しく抱きしめてくださったではございませんか!
どうかもう一度、あの時のように!・・・」
三河様はびっくりして雪姫を見ました。そして気付いたのです。“タカさま”が人間ではなかったことに。そして、雪姫の夢の中での一瞬のこととはいえ、それが自分と確かに重なっていたことがあることに。
金色の鷹は二度ばかり二人の頭上をかすめるように旋回したあと、東の方角へまっしぐらに飛び去ってゆきました。
金色の羽根が幾枚か、ひらひらと舞い落ちました。ハッと我に返った三河様は、雪姫の足元にひざまずきました。
「雪姫様、拙者、急用を思い出しましたゆえ、急ぎ鬼門に帰りまする」
茶の道具を抱えて雪姫といっしょに田沢のお城に戻った三河様は、挨拶もそこそこに馬にまたがり、鬼門へと一目散に駈けてゆきました。
「石兵衛どの・・・またお会いできましょうか・・・」、雪姫が石兵衛こと三河様の後姿を見送ります。
その様子を見ていた田沢様と紅姫は、顔を見合わせました。雪姫が、今日会ったばかりの殿方との再会を心待ちにするなどとは、今までは想像すらできなかったのですから。
三河様は狂ったように馬に鞭を当て、鬼門への道を急ぎました。
・・・田沢を滅ぼさせてなるものか。
慈父のような田沢の御館様を死なせてなるものか。
聡明で健気な紅姫を死なせてなるものか。
元気でかわいらしい桃姫を死なせてなるものか。
そして誰よりも、
雪姫を、
愛する雪姫を死なせてなるものか!
俺が、鬼門の次代頭領のこの俺が、雪姫を守ってみせる!
たとえ父上の意に背くことになろうとも!
たとえ、この命を犠牲にしてでも!
三河様は三河屋敷に着くと目の前の川に飛び込んで水浴びをし、着替えると、何食わぬ顔で鬼門のお城に戻りました。
「おお戻ったか、三河屋敷よ」
「父上、城内で三河『屋敷』はお止めくださいと何度も申しておりましょうに」
「そうか、では三河よ」、どうも鬼門様は三河様を少しからかっていたようです、「大湊から再度の使いが来て、鉄砲五百丁は返さなくとも良いと言ってきおったぞ」
「ほう、それは奇妙でございますな」
「やはりそう思うか。実は、大湊に放っておいた忍びから先程知らせがあったのだが、大湊の城内に今ある鉄砲はたったの百丁だとのことじゃ」
「・・・ますます奇妙・・・」
「・・・三河、おぬしはどう見る?」
「察しまするに、大湊は、我ら鬼門が大湊の財力や兵力に恐れをなして、鉄砲があっても何もできないとなめてかかっているかと存じます。田沢や東の都を攻め落とした後に我が鬼門も攻め滅ぼし、鉄砲を取り返すつもりでしょう」
「そうじゃろうな。わしもそう思っておったところじゃ」
「・・・時に父上、帰る道すがら、百姓どもが『新月の晩に鬼火が出る』とささやきあって怖がっておりましたが、あれは?」
「あぁあれか。わしが噂を流させた。
高慢な大湊のことゆえ、夜の行軍といえども我が領内では松明を明々とともして歩くじゃろうと思ってな。
ああ噂を流しておけば、沿道の百姓どもは松明を見た途端に逃げ散って、大湊が飯や宿を無心する相手がいなくなるじゃろう?
大湊からは、領内の米を食わせろとまでは頼まれておらぬからのう」
鬼門様はニヤリと笑いました。
鬼門様は東の都で「西北のタヌキ」と呼ばれていますが、どうやら体型だけのことではないようです
(^ ^;
「しかし、あまり百姓どもが怖がりすぎてうわついては、今年の石高にかかわる。鬼火の退治のすべを教えてやらねばなるまい。その件、おぬしに任せようと思うが、良いか?」
「承知しました。ではまず、大湊からの鉄砲・弾薬、そっくり頂戴いたしとう存じます」
「うむ。存分に使うが良いぞ」
三河様と鬼門様は顔を見合わせ、ニヤリと笑いました。
三河様は普段は好青年のように見えますが、やはりこの親にしてこの子ありなようです
(^ ^;
翌日から、鬼門の領内を奇妙な踊念仏が練り歩きはじめました。二人組みの、あまりサマになっていない踊念仏で、こういう内容のことを言って回っていました。
「新月の晩にゆらめく鬼火が
川を下って田沢におりると
鬼門に飢饉や疫病はびこり
三河屋敷の裏山崩れて
天守閣まで水浸し
丑三つ時に鎌持ち鍬持ち
鉄砲鳴らして追い散らさねば
鬼門に飢饉や疫病はびこり
三河屋敷の裏山崩れて
天守閣まで水浸し」
踊念仏の顔はお面に隠れて見えませんでしたが、一人の声は三河様に、もう一人の声は家老様に少し似ていたように聞こえました。
大湊様の軍勢は足軽二千九百、鉄砲百、騎馬一千の総勢四千、大湊から大きな山を幾つも越えて、新月の晩の前夜に鬼門の盆地の北の外れの山中に着き、次の夜の出撃に備えて日中は寝ていました。
日暮れとともに起きた軍勢は、大湊様と若様を先頭に、明々と松明を灯し、鬼門の都を避けるように百姓道を行軍しました。
「若様、どの家も無人です。食糧が手に入りません。如何致しましょうか」
「明日には田沢を攻め落とす。田沢の都でたらふく食えばよい」
「足軽も馬も、せめて水だけでも欲しいと嘆いておりまする」
「そこらの井戸から汲んでこい!」
「いや、それはならぬ」、大湊様が若様を制しました、「鬼門のタヌキめ、百姓の家や井戸を我等が勝手に荒らしたら、約束が違うなどと騒ぎ始めるに違いない。なぁに、飯はしばしの辛抱じゃ。川へ降りて皆に水を飲ませろ」
なにせ四千人、河原に降りるといっても一度というわけにはいきません。あまつさえ大湊様も若様も先を急ぐものですから、軍勢は河原を行進する格好になりました。
軍勢が三河屋敷から半里ほどのところまで差し掛かった、その時です。
「放てぇーー!!」
声がするかしないかのうちに、谷間を揺るがすような砲声がとどろきました。
いえ、砲声ではありません。丑三つ時ちょうどに合わせて、鉄砲がいっせいに鳴り響いたのです。
百姓たちは、身分の違いをちっとも鼻にかけずに自分たちと気さくに付き合い、農閑期に漆の塗り物や紙をつくってお金をかせぐことを教えてくれ、米が不作の年には年貢を減らすよう鬼門様に進言してくれたりした三河様を、心から慕っていたのです。その三河様が村々を踊念仏をしながら鬼火退治の手助けを頼んで回っていると聞いて、百姓たちは次々に鉄砲撃ちを買って出たのです。
三河様が鬼門様からもらい受けた大湊の鉄砲が五百。猟師たちの手持ちの鉄砲などが合わせて二百。百姓たちが鋤やら鍋釜やらを鍛冶屋に渡して打ち直させた急ごしらえの短筒が三百。全ての筒先が、鬼火、そう、大湊様の軍勢の松明に向いていました。
大湊様の軍勢は松明を取り落とし、大パニックに陥りました。そこへ、鉄砲を持った若い百姓が幾人か闇にまぎれて行列の真ん中に飛び込み、先頭と後尾の両方に向けて鉄砲を撃って逃げたものですから、暗闇の中で同士討ちが始まってしまいました。
逃げ散った兵は待ち構えていた百姓たちにかたっぱしから捕まりました。総崩れになった軍勢はもう立て直しようがありません。大湊様と若様はどうにか五十人ほどの手勢を呼び集め、三河屋敷のやや上流まで逃れました。
その目の前に、三河様が仁王立ちになって立ち塞がりました。右手には先端に刺が付いた長さ八尺もの鉄の尺杖、左手には刀を持っています。
「貴様、何奴じゃ!?」
「名乗る筋合いなどない!」三河様が大喝しました、「ここは鬼門領、大湊の軍勢が斯様な騒ぎを起こすとは不届き千万。早々に立ち去れぃ!」
「小癪な・・・」、若様が馬上から斬りかかりました。三河様はひらりとかわし、鉄尺杖で若様を打ち据えました。若様は川の中へ弾き飛ばされ、そのまま動かなくなりました。
「よくも倅を!・・・」怒り狂った大湊様が弓を引いて矢を放ち、三河様の首を横一文字に射抜きました。
とどめを刺そうと足軽たちが三河様に駆け寄ります。
しかし、三河様は倒れるどころかいよいよ激しく鉄尺杖を振り回し、次々に足軽たちをなぎ倒し、馬の脚を払い、武士たちの刀を打ち砕きます。
「鬼神だ!」「化け物だぁ!」、大湊様の手勢は恐れをなして逃げ散りました。
残った大湊様も馬を返して逃げ去ろうとしました。が、三河様が投げた鉄尺杖が馬に当たり、馬はどうと倒れ、大湊様は河原に放り出されました。
落馬させられた悔しさと、三河様の刀の間合いに入りたくない怖さから、大湊様は鉄尺杖を振り回そうとして手をかけます。が、両手に力をこめてもぴくりとも持ち上がりません。とてつもなく重いのです。
三河様の怪力にぞっとする間もなく、大湊様は三河様に組み伏せられてしまいました。
三河様が修羅の笑みを浮かべ、搾り出すような声で言いました、
「この首の矢、礼を言うぞ。大湊が我が鬼門に弓を引いた、これが何よりの証拠」
「・・・き、貴様、もしや鬼門の頭領の倅か!?」
「気付くのが遅いわ!」
三河様の刀が閃きました。
三河様は身体を引きずるようにして三河屋敷へと歩いていきました。
いくら三河様が武勇に秀でているとはいえ、五十人を相手にしての大立ち回りで無傷でいられようはずがありません。あまつさえ、首には大湊様が放った矢が刺さったままなのです。
小屋の前の川を渡ろうとして、ついに三河様は膝を折り、両手をつきました。
・・・この命が尽き身が滅びることは口惜しくない。
愛する雪姫を大湊から救うことができたのだから。
ただ、この先もはや雪姫をお守りすることができないことが、ただ一つの無念!
雪姫に会えぬまま、愛されぬまま死ぬことが、ただ一つの心残り!
・・・あの金色の鷹になりたい!
雪姫が愛してやまない、あの鷹に!・・・
力尽きた三河様の身体が、小川のほとりに崩れ落ちました。
ちょうど同じ頃、田沢のお城では、金色の鷹の夢を見た雪姫が飛び起きていました。もしやあの野点の時のようにすぐ頭上をかすめはしないかと思って、侍女を起こして二人で天守閣のてっぺんに登りました。
その途端、北西の方角から、金色の鷹が飛んできたのです。
腰を抜かす侍女をそっちのけで、雪姫は嬉しそうに笑いました、「鷹さま!」
しかし、その日の鷹は様子が違いました。窓から天守閣の中に入ると、なんと雪姫の前で金色に輝く青年の姿に変化したのです。
その青年はさっと雪姫の足元にひざまずきました。
「雪姫様、今日はお別れを申しに参りました」
「あなたは・・・石兵衛どの?」
そう、雪姫が言うとおり、金色の青年の背格好は石兵衛こと三河様にそっくりだったのです。
「どうか御安心を、雪姫様。これからもずっと、拙者は姫様をお守り申し上げます」
「石兵衛どの・・・?」
金色の青年は顔を上げ、潤んだ眼で雪姫の瞳を見つめ、少し哀しそうに微笑みました。
「・・・野点の茶、美味しゅうございましたっ!・・・」
そう言うと元の鷹の姿に戻り、大きな翼で雪姫を抱きしめると、北西の方角へと飛び去っていきました。
「石兵衛どの! 石兵衛どの!!」、雪姫は窓から身を乗り出して叫びました。
「・・・雪姫様!御無事でしたか!?」、大湊勢の侵攻に備えて寝ずの番をしていた家来たちが駆けつけてきました。
やや遅れて紅姫もあがってきました。
「雪、こんな夜中に何の騒ぎです?」
「・・・姉上、石兵衛どのが!・・・石兵衛どのが!・・・」
雪姫は紅姫の胸にすがりついて泣きじゃくりました。
鬼門の領内で何かが起こったらしいと直感した紅姫は、大湊勢の侵攻がないことが確認できたらすぐに鬼門のお城へ行こうと約束して雪姫をなだめ、寝所へと戻らせました。
夜が明けました。
もう大湊は攻めてこないであろうと判断した紅姫は、父の名代として鬼門のお城へ行くことにしました。雪姫を連れ、念のために警護の者を幾人か付けさせました。
川をさかのぼり、鬼門の領内に入ってすぐの河原には、縛り上げられたり網にくるまったりした大湊の雑兵があちこちに転がされていました。あくまで鬼火を払うための鉄砲だったので実弾は入っておらず、同士討ちとはいっても腰が引けたもの同士だったせいもあって、死人はほとんどなかったのです。傷ついた雑兵たちに、百姓たちが薬草を貼ったり塗り薬を塗ってやったりしていました。
少し離れた場所に、大湊様と若様の死体が転がっていました。
その傍らの小屋を遠巻きに囲んで、百姓たちがすすり泣いていました。
紅姫がたずねました、「どうしたのです?」
「わしらの・・・わしらの三河様が死んでしまわれたんじゃあぁ・・・」
「案内してたもれ」
小屋のまわりの川沿いに、見たことのない草が繁っていました。その草に半ば埋もれるようにして、首に矢が刺さった青年の亡骸がうつぶせに横たわっていました。
「石兵衛どの・・・」、雪姫は着物が濡れるのもかまわずふらふらと亡骸に歩み寄り、抱き起こしました。
野点の席で、雪姫の顔をのぞき込んで赤くなっていた頬は、白く冷たいばかりです。
その胸元に、金色の羽根が光っていました。
「石兵衛どのっ・・・」、雪姫は三河様の亡骸をそっと抱きしめ、さめざめと泣きました。
百姓たちの新たなすすり泣きが二人を取り囲みました。
その様子を見守っていた鬼門様が、紅姫に歩み寄りました。
「あの矢、大湊の頭領の矢じゃ。大湊を討たぬわけにはいくまいて」
「その折には、この田沢も、微力ながら加勢つかまつりまする」
「・・・天下を救おうとして、命を捨ておった・・・わしやら家老どもやらを差し置いて、先に逝きおった・・・あの大たわけめが・・・」
「申し訳ございませぬ。この田沢が軍事に重きを置かなかったばかりに」
「いや、これで良いのじゃ。武勇の鬼門、文徳の田沢、ともに補い合い助け合う間柄ではござらぬか」
「かたじけのうございます」
「ただ一つ頼みがござる。
あやつの亡骸、どうか田沢に連れて帰ってくださらぬか。
雪姫殿との縁談がまとまらなんだことを一番嘆いておったのは、他ならぬあやつ。
少しでも雪姫殿に近い場所で眠れれば、本望じゃろうて」
最愛の息子を失って涙ぐむ初老の武将に、紅姫は深々と頭を下げました。
三河様のお葬式もそこそこに、鬼門様は三河様の弔い合戦の軍を発しました。
鬼門・田沢・東の都の連合軍四千に、三河様の敵をうちたいと願い出た百姓たち六千が加わり、
一万もの大軍勢となりました。
三河様の奇策にかかって殿様と後継ぎと精鋭をいっぺんに失っていた大湊の一族は、
鬼門が国を挙げて攻めてくると聞いて肝をつぶし、軍勢が国境に差し掛かると早々に降参してしまいました。
三河様の亡骸は田沢の都へ運ばれ、手厚く葬られました。
その年から、三河様のお墓、田沢や鬼門のお城の堀のふちや小川沿いなどに、
三河屋敷に繁っていたのと同じ草が繁るようになりました。
茎には三河様の鉄尺杖そっくりの恐ろしげな刺が付き、
葉の付け根には三河様の刀のつばのような円いものが付いていました。
茎の先についた花は雪姫の肌のように白く、
大粒で黒く丸い種はまるで雪姫の瞳のようでした。
その草が繁るようになってから、忍びの者がその草の刺に刺されて悲鳴をあげて見つかってしまうようになり、
やがてどんな強国も鬼門や田沢に手を出さなくなりました。
この草を、三河屋敷の近所の百姓たちは、田沢の雪姫様を守ろうとした三河様の生まれ変わりだと言い伝え、ミカワサマと呼びました。
一方の田沢では、雪姫が三河様を呼んでいた呼び名にちなんで、イシベエサマと呼びました。
何代か後には、どちらの国でもイシミカワと呼ぶようになりました。
主役亡き後の脇役たちのその後。
大湊の一族がいなくなった大湊の都は商人たちが自由に活動できる都となり、いっそう繁栄しました。
その大湊の富を東の都の繁栄にうまく結びつけることに成功した青龍光様は、帰国を許され、紅姫を妻に迎えました。
その紅姫と鬼門様との話し合いで、田沢の家臣は三河屋敷を自由に訪ねることができるようになりました。
同様に鬼門の家臣は田沢にある三河様の墓の傍らに立てた屋敷への自由な出入りを許されるようになり、
こちらも三河屋敷と呼ばれるようになりました。
桃姫は、両方の三河屋敷で存分に遊びまわり、すっかり御機嫌なのでした。
一番のお気に入りの遊び相手は、三河様の弟で、一つ上の男の子の忍冬様でした。
実は、田沢様と鬼門様は、桃姫が大きくなったら忍冬様と結婚させ、鬼門を継がせようと決めたのです。
もっとも、三河様に似ずもやしっ子な忍冬様は、喧嘩になると負けてしまい、
桃姫のお馬さん遊びの馬にされて早くも尻に敷かれています。
忍冬様が元服した暁に桃姫と結婚したいと思うかどうかは、とっても微妙なようです(^
^;
雪姫は、もう金色の鷹を追うことはなくなりました。
そして、自分のために命をかけてくれた三河様のお墓を守りながら、
三河屋敷に百姓や町人の子供を招いて一緒に遊んだりして過ごしたということです。
〜終わり〜