「ありがとうございましたー」
「いえいえ、ご苦労様です」
再配達の荷物を持ってきてくれた宅配便のさわやかなお兄さんを見送る。
とある週の金曜日、家の中に戻った私は、届いた袋をテーブルの上に置いて、それを見ながら腕を組んで考え込んだ。
「つい、カッとなってやっちゃったけど、今は……、ううん、後悔なんてしてないわ」
一人住まいの部屋で、わざと大げさにうなずいてみせる。
届いた荷物の伝票の品名欄に書いてあるのは「衣服」の二文字。だが、この通販で買った服は、自分の持っているものとは全く違った新境地である。
「せっかくだから……」
袋を開けて中身を取り出す。襟元のデザインがセーラー服にも少し似ている紺色のワンピース。それにエプロンと髪飾りがセットで付いている。
「さて、どうしようかしら、これ……」
再び、腕を組んで服をにらみながら考え込む。棟居課長が好きなのって、こういう格好なのかしら……。
「課長! こうですか、わかりません!」
しばらくたって出てきたのはこんな言葉であった。
はーい!
わたし、高梨真由美。都内の食品流通会社に勤めているバリバリの総合職。年齢は二十……んん歳。ごめんなさいね、年頃の女性に歳を聞くものじゃないでしょ?
大学の頃から負けず嫌いで、特に男の子に負けないように努力してきたわたし。今でも職場の貴重な戦力としてバリバリやっているのよ。女性総合職、すごいでしょ。
あっ、そこのあなた。今、わたしのこと、フェミかぶれで男に縁のないルサンチマン女だって思ったでしょ?
ノン、ノン。ナイン、ニエット。そんなことないわよ、わたしにだって、ちゃんといるんだから。好きな人の一人や二人……。でも片思いなんだけどね。なので、女としての魅力も増すために絶賛修行中!
そうそう、わたしの好きな人って、実は会社の上司なの。悩みの一つは年の差。棟居課長、確か今年で四十歳って言っていたから、私との差は十……、おっと危ない危ない、逆算で歳がばれちゃうところだったわ。
でもまあ、それはいいの。問題はもう一つあるのよね。こっちの方が難題。
棟居課長、独身で一人暮らし……のはずなのに、若いメイドを二人も雇っているのよ。メイドですって、いまどき。
でね、この前、棟居課長の家に遊びに行ったのよ。そうしたら、いたの、メイドさん。これがもう、女性らしく気が利いて、しかもあの人、きっと、ご主人様のことを慕っているのよ。何気ない仕草が雄弁に物語っているもの。わたしにとっては強力なライバルね。
えっ、それとこの服とどういう関係があるのかって?
まあ、慌てないで、ちゃんと説明するから。慌てると孔明の罠に引っかかるわよ。
そう、この前、たまたまネットを見ていたら、偶然見つけちゃったのよ、あの服。そう、棟居課長の家でメイドの純子さんが着ていたのと同じメイド服。
でね、ついその場の勢いで購入ボタンをクリックしちゃったのよ。
それでもって、届いたのがこれというわけ。
わかった?
……って、わたし、誰に向かって説明しているのかしら。
それはともかくとして、せっかく買ったメイド服なんだから、着てみないとね。でも、ちょっと恥ずかしいわね。
……。
…………。
ちょっと待って。着てどうするのよ?
お料理作って、部屋の掃除でもする?
うーん、でも、それって自分で自分に仕えているみたいでなんか虚しいわね。
どうせ仕えるなら棟居課長にしたいわね。って、何言ってるのよ、わたし。恥ずかしい。
といっても、棟居課長のところにはもうメイドさんいるし、会社に着ていくわけにもいかないし、どうしよう……。
ん? 会社?
あ、そうだ!
明日は土曜日よね。こっそり会社に行って、棟居課長の机の周りをきれいにしておいてあげようかしら。もちろん、この服を着て。
そうね、それなら有効活用できるし、誰かに見られる心配もないし。
おお、我ながら名案よね!
きーめたっ。
そして翌日、土曜日……。
ぴっ。
カードキーでロックを解除して見慣れた職場に入る。
電気を付けるが、今日は土曜日、当然、誰もいない。
「誰もいないフロアは少し寂しいわね……」
いつものように自分の席にやってくる。椅子の上にバッグを乗せ、中に入っている袋を取り出す。
「さて、と……。さすがに誰もいないとはいえ、ここで着替えるわけにもいかないわよね」
こっそり棟居課長にお仕えするメイドプロジェクト。まさか家からこの服で来るわけにいかないから、こうして持参したのだけれど、着替えるのは、やっぱりお手洗いがいいかしら。
さて、ちょっと行ってきちゃいましょう。
「さて、こんな感じでいいかしら。ワンピースなんて着るの久しぶりだし、エプロンとかリボンとか、意外に着るの難しいのね、メイド服って」
個室でこっそり着替えた後、鏡で自分の姿を確認する。
「あ、これも忘れないようにしないとね」
袋の中に残っていたカチューシャ。白のレース飾りと、両側に付いたワインレッドのリボン。可愛らしいデザインだけど、わたしに似合うかしら……。
「うーん、何かやっぱり違和感が……。でも、ここまで来たからにはもう引けないわよね。よしっ」
リボンと背中のエプロンの結び目。そして髪のカチューシャを確認する。
「さ、戻ろうかしら」
今の自分の服と、見慣れた会社の光景。とんでもないミスマッチだとは思うが、意を決してみる。
「というわけで、棟居課長……じゃなくってご主人様♪ 机の上をきれいにして差し上げますね」
棚からウエットティッシュタイプのクリーナーを一枚取ると、わたしは棟居課長の机の上を拭き始める。
本人が「掃除は嫌いだ」と言っていたので、どんな荒れ果て方かと心配したが、思いの外さっぱりとしていた。でも、考えてみると普段の仕事の時にも棟居課長に呼ばれてこの席に来るから、そんなに散らかっていたらすぐわかるはずだものね。
それでも、机の隅や本立ての端の方には細かい埃や消しゴムのかすなどが残っている。パソコンの液晶ディスプレイやキーボードの隙間なんかにも。
「こういうところ、ちゃんとしてあげないと」
手を動かしていると、メイド服の袖が視界に入る。レース飾りなどはメイドとしての仕事のじゃまになるのではないかと思っていたが、意外にそうでもなく、実用性もきちんと備えているようだった。
「あとは、電話くらいかしらね」
新しいクリーナーを持ってきて、受話器に手を伸ばそうとしたとき、突然、がちゃっという音が聞こえて驚いた。
「えっ?」
わたしが顔を上げたとき、ちょうど正面にあるドアが開いた。
そこから姿を見せたのは、なんと棟居課長!
「ん……? おやっ?」
「えーっ!」
普段見ない、私服姿の棟居課長。といっても、ジャケットにシャツだったから、ネクタイをしていない以外はいつもと変わらないように思える。
……って、そうじゃないでしょ、わたし!
「た、高梨さん。どうしたんだね?」
「む、棟居課長こそどうしたんですか、今日は土曜日ですよ」
「ああ、急な仕事が入ってしまってね。嫌々ながらやりにきたわけだよ。それはそうと、高梨さんはどうたんだい、その……、格好は?」
「え、えっとですね……、これにはいろいろと事情があって……。まさか、課長が出勤なさるなんて思ってもいなかったので……」
「わ、悪かった……、のかな? それにしても、その服は……。しかも、純子の着ているのと同じのに見えるのだが」
「そうなんですよ。たまたま、たまたまなんです。偶然、棟居課長のおうちのメイドさんのと同じ服を見つけて……」
「まあ、なんだ、その、よく似合っているな」
「か、からかわないでくださいっ!」
そんなこと言わないでください、無茶苦茶恥ずかしいじゃないですかっ!
「すまん」
「まったく……。棟居課長、どうしてこうなのですか、わかりません!」
「えっ、何がかな?」
「課長、そんなにメイドがお好きなんですか? 二人もメイドを雇って……」
純子さんというメイドさんの姿が頭に浮かぶ。物静かで物腰がよくて……、悔しいけど女の私から見てもよく出来たメイドさん……。でも、負けられないわ。
「いや、あれはだな、いろいろ複雑な事情があって……」
「ま、いいです。ところで、棟居課長の急ぎの仕事っていうのは?」
べ、別に棟居課長を問い詰めようとしているわけじゃないのよ。だから、よくわからない怒りはこの辺で押さえておかないとね。
「ああ、昨日の夕方に急に資料を作れと言われてね。しかも月曜の朝一の会議で使うのだと」
「部長ですか?」
「ああ。でもまあ、会議の日程なんて部長の好きに決められるものでもないから仕方ないだろう。昨日だけじゃ終わらなかったので、残りを少しだけ、ね」
「そうなんですか。どんな資料ですか?」
「地域別の四半期売り上げ比較だ」
「えっ、それって……」
いつもわたしが担当してる仕事じゃない。
「ああ、でも、高梨さんに休みの日に出てもらうのも悪いと思ってね」
「そんなこと……」
言ってくれれば、棟居課長と二人の休日出勤だったら全然、嫌じゃないのに。
あ、でも、棟居課長に任されるってことは課長はお休み? それじゃ意味ないじゃないのよ。
「というわけだ。まあ、面倒な集計は昨日のうちに概ね終わらせたから、あとはまとめとグラフを作るだけだ」
「手伝いましょうか?」
「いや、大丈夫だ。しかし、高梨さんは何の用があって今日は出てきたんだ?」
「えっと、ですから……机の整理です。せっかくなので、新しく買っちゃったこの服を誰もいないところでこっそり着ようとしてたのに……」
「そうか、それでは、高梨さんは続けてくれたまえ。私もさっと済ませる」
「そ、そうはいきません」
「ん? 何故だい?」
「その……ですね、せっかくこんな格好しているんですから……、お、おそばに仕えさせていただきます」
こうなったら、とことんやるしかないわね。他ならぬ棟居課長に見られちゃったんだし……。
「えっ?」
「というわけで、メイドさんらしく、紅茶を持ってきます。課長はお仕事の続き、なさってくださいね」
「わ、わかった」
照れ隠しもあったと思う、少し乱暴な足取りで給湯室に向かうわたし。
会社の中だからティーパックの紅茶しかないけれども、これを棟居課長に……。
やだ、なんか改めて一人になったらすごい恥ずかしい。
「はい、紅茶が入りました、ご主人様♪」
パソコンに向かっている棟居課長の側に近づき、邪魔にならない位置に紅茶の入ったマグカップを置く。課長の仕事の邪魔にならず、かつ手の届きやすいところというのは意外に難しい。それはそうとして、わたしってこんな可愛い声、出せたんだ。
「ああ、ありがとう」
棟居課長が軽く顔を上げてわたしの方を見る。思わずどきっとしてしまうわたし。
「い、いいえ……」
うつむきそうになったわたしを尻目に、課長はマグカップを手に取って口に運んだ。
「なかなかいけるね」
「あ、ありがとうございます。でも、会社ですからティーパックですよ」
純子さんがいれてくれるあの紅茶には敵わないけど、仕方ないですよね。
「そうだな。しかし、それにしても……」
「はい?」
「あれだけお茶出しを嫌っていた高梨さんが、こうして私に紅茶を持ってきてくれるとはね」
昔のことを思い出し、少しいたたまれなくなる。痛いところを突いてくる、棟居課長は本当に意地悪なんだから……。
「し、心境の変化ですっ! わたしだって、いろいろ成長しているんですから! それに、命令されてお茶を出すのと自分の意志で出すのとでは違うんですっ!」
あーあ、またこんな言い方しちゃった……。
これじゃ、ライバルの純子さんとまた差を付けられちゃう。
「そ、そうか。まあともかく、ありがとう」
でも、せめて最後くらいは決めてみせないと。
「いいえ、どういたしまして」
スカートの裾を両側、ちょっとつまんでお辞儀をしてみせるわたし。頭を下げると、髪のカチューシャに付いたリボンが軽く踊った。
あ、何となくこの感触、好きかも。
それからしばらく、わたしは自分の席に座って課長が仕事をしているのをこっそり眺めていた。普段の日は自分の仕事をさぼるわけにいかないからそんなこと出来ないしね。
やっぱり、男の人は仕事している姿が一番格好いいのかも。
あれ? 課長がカップを手にとってそのまま戻しちゃった。ひょっとして、もう紅茶なくなっちゃったのかな? もう一杯、入れてあげようっと。
棟居課長の仕事は、それから一時間ちょっとで終わったようだ。
「よし、これでいいだろう」
「お疲れ様です」
「高梨さんの紅茶のおかげではかどったよ。最初は驚いたが、こういうのも悪くない」
「悪くない」というのは、この人の結構いいほめ言葉なんだと最近気がついたわたしは、ちょっと嬉しくなった。
課長のパソコンがシャットダウンする。
「さて、そろそろ帰るか」
「はい、わたしも途中まで一緒に」
慌てて課長の後を追いかけようとする。
「ん? いいのか、そのままで」
だが、棟居課長がわたしの方に目を向ける。そして何か言いたげに視線をわたしの体の上から下まで……。いやん。
「えっ? あ、あーっ!」
わたし、メイド服姿のままじゃない。
「き、着替えてきますから、それまで待ってください」
「ああ、そうするよ。早く行ってきなさい」
「はいっ!」
わたしは慌てて、お手洗いに駆け込むのだった。