11月29日(月)
毎度お騒がせのソー●ックが今度はコンビニでPCを販売を開始したらしい。販売機種はご存知「e-one」に加え、「M250」と「WinBook」だそうな。ああ、どっかで聞いた名前ばっかし。しかも提携するコンビには「7−11」でも「あなたの○ーソン」でも「あなたとコンビに」でもなく「デ●リーヤ●ザキ〜サン●ブリー」系らしい。どこまでもちょっとマイナー路線を歩むソー●ック、ここまでやればご立派ご立派。
さて、対照的に世の中には「メジャー」を目指す方々が大勢いる。最近話題はメジャーリーグ入りの決定的な佐々木大魔人に思案中の工藤あたりか。ま、彼らが「メジャー」を目指すのは「プロ」としては必然的な流れ。日本では一流の彼らも、メジャーのスーパースターに比べればまだまだ。そう、世界の舞台では、たいていの場合上がいるのだ。
ところで、野球やサッカーをやっている子供達が全員プロを目指しているかといえば、もちろん、そうでもない。プロになれるのはごく限られた人間であり、才能にさらに自分自身が努力を積み重ねてその域まで達するわけだ。正直、好きだけじゃメジャー級のプロにはなれない。いくら自分の好物でも、それを毎日食べなければならなかったら、だんだん苦痛を感じてしまうように。
だから「メジャー級」と呼ばれるプロは相当強固な意志を持たなければならない。すべてをそこにかけて自己管理を徹底していく。練習、食事、睡眠時間・・・日本のJリーガーやプロ野球選手でも、そこまでストイックにプロに徹することができる人間はごく少数ではないか。
しかし、何もメジャーを目指さないからといって、その人にとってスポーツが無意味だというわけではない。勝負に徹するのがプロならば、そのスポーツを心底楽しむことだって、ある意味では立派な一流の選手。日本に少ないのは、この「長く楽しむ」ためのスポーツ施設と、その指導者だと思うんだが。
さて、そんな大人でも難しいプロフェッショナルの努力を、何故か日本人は子供達に要求する。「自分ができなかったことを子供に期待する」といえば聞こえはいいが、裏を返せば「自分ができもしなかったことを子供に要求している」のではないか?
親は「子供の将来のため」と考いう名目での、まだ小さい子供達に「プロ」の努力の要求・・・けれど、ここで親の言っている「将来」ってのは実は子供が成長した後の・・・そう「未来」のことではなく、実は単に「現在」流行しているものでしかないのではないか。過去に「会社の将来性」を買って就職した証券マンや銀行マンのように。そう、彼らも実は就職のとき「今、一番のもの」しか見えていなかったんじゃないだろうか。
100人の人間のうち1人だけができることがあれば、プロフェッショナルが成立する。100人が100人できたら、それは常識でしかない。例えば、最近は国際化などといって幼児教育に英語を取り入れているところが多いみたいだが、みんながみんな英語を学んだら、それは「常識」でしかない。むしろ将来は中国が世界の頂点に立ってるかも。そうなると中国語が重用されるかもしれませんよ。
さらに、もし自動翻訳機なんてもんがますます進化し、リアルタイムで確実な口語翻訳ができるようにたら、英語なんか知らなくても・・・いや、英語どころかどこの言葉でも自在に相手と会話ができるようになり、そのときに社会が人に要求するものは、今とはまったく違ったものかも知れない。
考えても見れば、たった20数年前ですら、コンピュータ業界が世の中を席巻するなんて思いましたか?そして同じように今、隆盛のマイク●ソフトやN●Cが、20数年後も一流である保証はありますか。もしかするとソー●ックが業界トップかもしれないじゃないですか。
もちろん、そんな将来のことは、ノストラダムスだって外れるぐらいだから我々のように普通の人間にはわかるはずもないこと。しかし、そんな予測もできない将来のために、子供達が今しかできないことを見失ってもいいのだろうか。そしてそんな事のために、幼稚園児にプロフェッショナルの努力を要求する必要があるのだろうか。
100人のうちの1人だけしかできない人間を育てること・・・それは、そのときしか経験できないことを経験させること。それは、「今」の親にしてみれば、ほかの大多数が目も向けない事かもしれない。でも、だからこそほかの99人が学校で学んでいることとは違うことを、自分自身で発見させることが大切なのではないか。
日本のプロ野球と同じで、所詮「一流の幼稚園」や「一流の小学校」に入れたなんていっても、その一流ってのは、ごく狭い、親の知る限りでの相対的評価でしかない。あなたが一流と思っていても、世界には必ず上がある。何を持って上とか下と判断するか・・・少なくても日本の、それも「お受験」なんてレベルでいってる一流は、単なる親の自己満足でしかないと思う。
ほんとうの一流の親が子供に願うことは、子供が他人の肉体や精神を傷つけることがないように、そして子供自身の肉体や精神を傷つかないように育ってくれることだと思う。そして万が一子供が傷ついたときは全力で子供を守ってやること。
だから、一流の親は、絶対に自分自身が子供の肉体や精神を傷つけたりしてはならない。幼稚園レベルで「受験に失敗した」なんて思っているのは親だけでしょ。もし子供までそう思っているのなら、もうすでにその親は子供を十分精神的に傷つけていると思う。ましてやそれが昂じて他人を傷つけたとなれば・・・ 幼稚園に通うようになって半年も経つと、細いと思っていた子供の太ももがみるみるガッシリしてきて、体重も重くなっていくのがわかる。それが私自身、親としてとっても嬉しい。 そういう成長・・・ちょっとした変化を嬉しいと思うこと以上に、3歳の子供に願うべきことがあるんだろうか。そういう姿だけで満足できず、さらに子供に「もっと、もっと」と要求するのは、親のエゴ以外の何者でもないと思うんですけどね。
今日の教訓:幸せの青い鳥はどこにいたのか?