6月8日(火)
昨日、東北地方は梅雨入りしたそうである。しかし去年宮城県地方は梅雨明けしてないんだから、梅雨入りっていわれても・・・去年からずっと梅雨なわけで。で、梅雨なんだから「ああ、これから毎日ジトジトのジメジメなんだなぁ」と思っていたら、午後からすっかり晴れ上がる空。こういう天気が続くと、日本人の58%は会社に傘が偏ることになってしまい、これが3日ぐらい続くとお父さんが花柄のお母さんの傘をさして会社に出ると言うちょっとカッコ悪い光景が見られるのことになるのである。
さて、梅雨ともなれば、公共交通機関を利用して通勤する人々は、満員のバスや電車のなかで、水滴がしたたり落ちる傘ををぐいぐい押しつけてくる非常識な奴と無言の戦いを展開しなければならない。この水滴付き傘は、マナーなんて言葉が通用しなくなっちまった現代日本では、巨大ショルダーバッグと双璧をなす公共交通機関最大の敵なのである
さてさて、その公共交通機関。今はだんだん忘れらつつあるが、そういえば仙台市には立派な公共交通機関があったのだ。昨日の夕刊に今から23年前の昭和51年3月末に廃止になった仙台市電が今でも長崎で走ってるって特集が載っていた。仙台市電こそが昭和30年代〜40年代に仙台市で最も幅を利かせていた公共交通機関なのである。
何を隠そう、わたしゃ小学校〜中学校時代、この市電で通学していた。当時はこの特集に載っていた長崎で今も現役の車両と、もう一回り大きい車両が乗り心地が良くて、始発の八幡町で乗り心地のいい電車がくるのを待っていたものである。
秋になると西公園の前で落ちたイチョウの葉で電車がスリップするため、交通局の職員が一所懸命竹ぼうきで線路を掃いていたり、雪が降ると電車の前に竹箒がついた奴が朝一番で走って来たり。
八幡町に着くと折り返し。運転手はブレーキレバーを引っこ抜いて反対側の運転席に移動し、パンタグラフについている紐を引っ張って反対がわに向ける。あれ?これは車掌がやってたのかな?当時はまだワンマンじゃなかったから・・・
この仙台市電が開業したのは大正15年。この年は私の父が生まれた年だ。父はまだ健在だから、そう考えると市電の命は案外短かった。それでも仙台市民に市電はしっかり定着していた。
ところが仙台市の都市化が進み、住宅地が郊外型になったため、市電の始発駅は結果的に中途半端な位置になってしまい、徐々に車通勤に押されることになる。この時点で今はやりの「パーク・アンド・ライド」あたりに気付くと仙台市もたいしたもんだったんだが、いかんせん当時の市長は無能な革新系市長。市の職員は増やしたが、公共サービスは低下の一方ってな時代である。そんな立派な考えなんか生まれるはずもなく、市電の赤字はみるみる拡大。
さらに道路交通法の改正により、自動車の市電軌道内への乗り入れが認められたことが、結果的に仙台市電に引導を渡すこととなった。この改正道路交通法は、「市電の邪魔をしなければ軌道内に入ってもかまわない」という法律だったはずなのに、実際これを守ったドライバーがどれだけいたことか。今でもバスレーンを堂々と走る恥知らずがわんさかいるが、当時も電車を押しのけて割り込む車が続出。結局、市電は遅れがどんどん目立つようになり、乗客は「遅い」市電を見放し、市議会も結局「悪いのは市電」という結論に達し、ついに廃止されることとなったのである。悲しき市電の末路。
私は芭蕉の辻線は知らないが、北仙台線(路線番号3番・4番)が廃止された頃からは鮮明に覚えている。この路線、国道4号線を走ってたんだから、混雑の真っ只中にいたようなもんだ。今でもこの通りは朝の渋滞路線だし。
次いで原ノ町線(路線番号8番・9番)、そして最後に残った八幡町〜長町線(路線番号1番・2番)が昭和51年に廃止になったはず。あれ?確か路線番号10番11番てのもあったような気が・・・5番・6番はなんだっけ?確か舟町行きってのもあったような・・・ありゃ?記憶があいまいに・・・
さて、長崎の仙台市電は冷房が付いていない車両のため、夏の間はお休みらしい。そりゃ、23年前っていえば、乗り物に冷房なんて贅沢の極地。公共交通機関はせいぜい天井に扇風機が付いてればいい方だった。23年経ったら、冷房なしではお客さんが乗らないようになったんだね。いまどき冷房も入っていない車両だったら、苦情が殺到することだろう。
一方では地球温暖化で冷房は28度までなんて言ってるが、現実はそうはいかないようで、車内が暑ければ
なんでこんな話になるかといえば、今更ながら仙台市でやれ地下鉄を延長しろだのモノレール作れだのって話になってるから。当時は車の通行量が増えて邪魔者扱いされてしまった市電であるが、よくよく考えてみればこんなに地球にやさしい乗り物はないではないか。そう、今の地球温暖化を考えても、当時市電を廃止せずに、ほんとはもっと拡大すべきではなかったのか。
まして、市電廃止から23年経ったいまでも仙台の大量輸送機関は基本的にバスで地下鉄は1路線しかない。政令指定都市の割に軌道による大量輸送機関が未発達な仙台の現状をみるにつけ、仙台市が市電を廃止したのは失敗だと強く感じるのだが。
市電廃止後、蒸気機関車(確かC62?)とともに西公園に公開されていた木造の市電1号車の車両は、心無い連中に部品を外されてボロボロになり、最後は浮浪者の住処となって、たまりかねた仙台市が撤去してしまった。今は平成3年に完成した、地下鉄富沢駅のそばの仙台市電保存館に保存されている。
市電も廃止後までこういう連中に邪魔されるとは思わなかっただろう。結局は公共のルールを守らないが為に、最後に自分達が余計な税金を払わせられたり、環境破壊によって自分自身の首を締めることになるのだが、それに気付かない愚かな人間があまりにも多すぎるということか。
今日の教訓:そういえば子供の頃は市電のマスコンを握るのが夢だった。
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