4月6日(火)
子供の成長ってのは、親の想像を遥かに越えるスピードで進んでいると思う。
この間、めぐみと雄太を連れて公園にいった。着いてすぐに、めぐみはすぐにすべり台で遊びはじめた。このすべり台は階段が十数段ありけっこう急だったので、3歳のめぐみは平気で登って滑り降りていたが、まだ1歳半の雄太にはちょっと難しいかなと思っていた。事実、最初のうち雄太はブランコのまわりをぐるぐるまわりながら遊んでいたし。
ところが、お姉ちゃんが楽しそうに滑っているのを見て、雄太がいきなりすべり台の階段を登りはじめた。危なっかしい足取りではあるが、ちゃんと手摺りを持ち、自分の体を支えながら、なんとかバランスをとって階段をひとりで登り切った。そこからすべり台をひとりで滑り降りて大喜び。「自分で出来た!」っていう嬉しさ、きっとあるんだろうね。親にとってはハラハラすることだが、そこを我慢してどれだけ子供にやらせてあげるか、ここが辛抱のしどころ。
しかし子供の観察力には驚くね。他の人がやることをじ〜っと観察していて、ちゃんと真似をする。すべり台の階段だって、お姉ちゃんの手の運び、足の運びをしっかり観察して、実践している。
子供の成長は、この「観察」と「チャレンジ」の連続で生まれると思う。例えば雄太は台所で洗いものをしているお母さんの真似をしたくて、流しのところまで自分で椅子を引っ張ってきてよじ登ったり、めぐみはめぐみで、お釜からご飯をよそおうと「やってあげる」といったまでは良かったが、買ったばかりの私の茶わんを落として壊してしまい、バツの悪そうな顔で泣きべそをかいたり・・・でも、せっかく「チャレンジ」しようとしている時に、親がそれを「危ないから」と制止してしまったり、「遅い」といって替わりにやってしまっては、子供は成長の機会を失ってしまう。
例えば包丁やハサミの使い方だって、ちゃんと教えれば子供は十分理解できる。相手に刃先を向けてはいけないことも含めて。カッター(ほんとは小刀がいいんだけど)で鉛筆を削ってあげれば、子供は目を輝かせて「自分もやりたい」と言い出す。きちんと教えてあげれば、刃物の正しい使い方を学ぶと思う。
でも、最初から包丁やハサミを渡して「勝手にやりなさい」というは間違い。やろうとしている事の手段、方法が正しいのか、誤っているかを教えてあげなければ、子供が経験させる意味がない。結果だけで叱られては、子供だってかわいそうだ。
そう、子供たちに足りないのは経験である。彼らは経験がないから、方法がわからず、また危険を予知することができない。だからこそ、親はほんとうに危ないところだけを支えてあげればいいと思う。すべり台でいえば、すべり落ちそうになったときに体全体を支えるのではなく、ちょっとだけお尻を支えてあげる感じ。そうしてひとつひとつ経験を重ね、これをやったらどうなるかを学んでいく。だから子育ての基本は、ちょっと難しい2つの組み合わせだと思うのだ。
1.小さな怪我を恐れずに、できるだけ多くの事を経験させる。
2.大きな怪我や病気にならないように最大限の注意を払う。
1がなければ過保護、2がなければ放任、どちらに偏っても「育児」としては成り立たない。
真剣に子供を育てようと思うと、けっこう目が離せない。でも、目が離せないから子供のちょっとした成長に目が届き、喜びを感じるんだと思う。逆にいえば、そこまで目配りをしなければ、育児の楽しみは生まれないと思う。「育児はつまらない」と思っているのは、自分が積極的に目配りをしていないからじゃないかとも思う。
まあ、これは育児に限らず、仕事でも同じ。自分が積極的に関与していかなければ、そりゃ「やらされ仕事」となって面白くなくなるのは当たり前。だいたい、そのくらい目配りができなければ、会社でも使えん奴って事になると思うし。
雄太の後ろにくっついて久々に登ったすべり台・・・すべり台なんてたかだか地上3mぐらいなんだろうけど、しばらくぶりに登ったその頂上は予想以上に高かった。子供たちは平気で遊んでいるのに、むしろこっちの方がビビってしまいそう。でも、ちょっとだけ気持ちよかった。
育児なんて言ってるが、実は子供と一緒に遊んでいれば、親が子供から教わる世界だってたくさんあるのだ。
今日の教訓:子供のほうが新しい世界を知っているかもしれない。
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