3月25日(木)


先生が生徒に暴力を振るえばクビだそうである。生徒が殴ってきても、おとなしく殴られるしかないんだとか。殴り返せば次は刃物を持ち出され、さらに対立がエスカレートしたりもするらしい。だからといって、今の「先生の体罰は一切禁止」って発想も疑問である。「話せばわかる」って言うんだったら、そう言っている人が実際に学校で話をして理解させてみたらいい思うんだけど。

一方で、確かに喧嘩になったら恐い点もあるとは思う。今の喧嘩には手加減がなく、とことんまでやってしまうからだ。それは今の先生も生徒も、子供のころから喧嘩をする機会が少なかったからじゃないかと思う。兄弟が6人も7人もいれば、食事だって「戦争」状態な訳だから、当然取り合いになり、争いが生れる。

そうなると、兄弟の中でも常に対立し、実際に取っ組み合いをする者、それを仲裁するもの、無関心を装うもの、親に報告するもの、対立に乗じて要領よく漁夫の利を得るもの・・・なんてそれぞれの役割が兄弟の中でも生れてくるんじゃないだろうか。これが大人になって実社会で生きてくるんだね。

現実にここは押すべきか、引くべきか、そして殴るべきか。もっと進んで考えれば、喧嘩をするに当たって、さり気なく仲介者を入れておき、一定以上になったら引き止めさせるとか。会社における駆け引きそのもの。

ところが今の先生も生徒も、こういう駆け引きの経験が少なすぎる。だから殴るタイミング、シチュエーションを間違えて、まったく無意味なところで、まったく些細なときに殴ってしまったり、殴る強弱の判断を誤り、重症を負わせたり。

実際には話せばすべてがわかるほど、人間は立派ではないと思う。いい例が、今日のNATOのユーゴスラビアに空爆実施だろう。こりゃ、言葉で説得できないから暴力に訴えたってことでしょ。アメリカは正義だっていうんだろうが、そんなのは「アメリカの正義」でしかない。まあ、喧嘩すりゃ、お互いに「俺は正しい」って主張するのは当たり前だけど。

一方でそういうことをやっておきながら、「話せばわかる」なんてのは、まるでナンセンスだと思う。それこそ、大きいものには目をつぶって、重箱の隅をつつくようなもんでしょ、それじゃ。あんだけ話をして、交渉を重ねて、「説得はあきらめた」って言ってるんだからね。

まあ、ユーゴの空爆がいいか悪いかは別にして、悪いことをすれば叱られる、言葉でわからなければお尻を叩かれるってのは極めて当たり前のことだと思う。これを一般的に体罰というのかどうかは知らない。でも、私は言ってもわからなければ、当然叩く。

大人はもっと悪いことを悪いとはっきり言うべきだと思う。それをうやむやにするから、子供にとって大人が恐い存在ではなくなり、世の中がおかしくなってくる。悪いことをした人間は、社会がもっと非難すべきだ。ゴミや空き缶やたばこを道路に投げ棄てる奴がいたら、「まあ、いいか」と思わずに非難するべきだ。それを見ている子供たちは、大人の強さ、社会で正しいことは何かを学んでいくと思うのだ。

「徒党を組んで反撃されたら恐い」のであれば、大人も結託すればいい。ここで報復を恐れて黙ってしまったら、大人の地位はますます危うくなる。そして、そんな教育を受けた彼らが大人になったとき、彼らはきっと後悔しながらも、必ずや同じことを繰り返すと思うのだ。

育児や教育は決して子供に迎合することで生れるものではないと思う。あるときは社会の掟の厳しさを教え、またあるときは「肉体的痛み」を覚えさせることも立派な育児であり、教育だと思うのだ。

これまで我々が怒らなかったせいで、日本という国はたいへんな赤字を抱える状態になってしまった。でも、そういう原因をつくった連中は、甘い汁を吸うだけ吸って、せいぜいあと20年もすればこの世からいなくなる。

結局苦労するのは、21世紀に社会人となり前世紀のツケを払わせられる、私たちの子供の世代なんだと思う。だから、今すぐにでも、大人がしっかりしなければならない。もっと真剣に世の中のことを考えなければいけない。暦の上では再来年から21世紀であるが、育児や教育を通してすでに21世紀は始まっているのだから。


今日の教訓:もちろん、子供を殴ってほんとうに痛いのは、親の心でなければならない。


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