3月15日(月)
小学校って楽しくなかった?
週末、プロフェッショナルについて書いたのは、あるテレビ番組を見て疑問に思ったから。出演していた学校の先生が、「先生達は学校いってるとき、楽しくなかった?」と聞かれて、「楽しくなんかないよ〜」と答えていた。じゃあ、彼らはなんでそんなに楽しくなかった学校で先生なんかやってるんだろう。私には不思議でしょうがない。
一方で彼らは、「子供に対する責任はないよ。なんで我々ばっかりそんな責任負わなきゃいけないの?責任負うのは文部大臣でしょ」みたいな事をいっていた。この発言は最低である。職業として教師をやっているからには、好む好まざるを得ず、責任はあるのだ。教師に限らず、仕事とはそう言うもんだと思う。
仮にも彼らはプロの教師である。100歩譲ってそれがなりたくてなった職業じゃないとしても、彼らには教育を行う義務と責任がある。「だって、殴られたら、痛い」なんて、情けなくて泣けてくる。あんた達は職業に対する真剣さがまるで足りない。
挙句になんだ?こっちが暴力振るえば首だから・・・だと?そんなに教師としての自分の行動に自身がないのか。もっとも、子供が殴られたときに、なぜ殴られたかを子供に聞くよりも、まず警察に駆け込むような馬鹿な親が多いから、多少の同情はするが。教師は子供達は教育できても、その親までは教育できないからね。
ただ、聞こえてくる日本の「平等」教育にははっきりいってウンザリである。「演壇をなくして平らにしたから平等」「運動会では全員1位」「子供と先生は対等の立場」・・・
馬鹿いってんじゃないって。現実に社会に出れば、世の中にはたくさんの自分より上があって、決して平等なんかじゃない。逆にいえば、努力をしない奴が一所懸命努力した奴と同じに報われたら、一所懸命やったほうが面白くないだろう。まあ、努力をしなくても報われることがあるから、人生は面白かったりもするのであるが。
建前論をいくら論じたところで、子供に通じるわけがない。子供達は、そういう気配にとっても敏感だと思う。まして、もし通じたとしても彼らが「平等だ」と思いこんでいた実社会に出たときに、彼らはそのあまりの落差に社会の落ちこぼれになりかねない。
なぜ、人間は教育を受けるのか。それは、大人として社会に出たときの、必要最低限の知識を身につけるためだと思う。その知識には、単に算数や理科というものだけでなく、人間として社会のなかでどうあるべきか、社会とどう関わっていくかということ。それこそ、最も重要な教育ではないのか。
少なくても、人間の成長に大きく関与する「教師」という立場の職業を選んだからには、例えどんな苦労があろうとも、「責任はない」なんてことは、言って欲しくない。プロフェッショナルの仕事に、責任をとらなくていい仕事など、どこにもないのだから。
で、私は小学校、楽しかった。毎日行くのが楽しみだった。市電に乗って通うのは楽しかったし、給食のやきそばも美味しかったし。あれから25年、学校がつまらないっていうんなら、その「つまらなくした奴」はいったい誰なんだろう。
今日の教訓:給食のマーガリンは苦手だった。やきそばは・・・おかわり6杯したことあったっけ。
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