1月26日(火)
人間の一生には節目となる大事な儀式がある。よく聞く「冠婚葬祭」って奴である。このうち「婚葬祭」は意味がすぐわかるが、もう一つの「冠」は何か。「元服」によって前髪を切り「冠」をつけて「大人」の仲間入りをする事である。雛人形で御内裏様が付けてる烏帽子がその「冠」のこと。
元服の儀式は男子は12〜15歳、女子は12〜13歳でおこなわれ、男子は冠をかぶり、女子はおかっぱ頭を背中で束ねて垂らすことで大人になったことを示し、祝う。昔は数え年が主流だから、元服式は正月の行事となっていたそうだ。
当時は「人生50年」と言われた時代だから、現在の「人生80年」からすると、比率的には今の19歳〜24歳ぐらいになり、「成人式」も年齢だけから見ればあながち間違いとは言えない。
では、現在のような成人式はいつから始まったかというと、先日の新聞によれば「埼玉県蕨市でおこなわれた青年祭が始まり」だったらしく、当時は青年団が中心となった、今で言う文化祭のような催しだったようだ。ところが、いつの間にか成人式はその意味が希薄になってしまう。
穿った見方をすれば、現在の成人式の意味は、「新有権者に対する議員の顔見世」でしかないのではないか。政令指定都市の仙台市の場合、これまでのように「区」単位の成人式だと、「区」単位の市議会議員はいいが、「市長」は困る。そこで理屈をつけて「一箇所やる」ことにしたとか・・・
日本でも「20歳で成人」ってのは「徴兵年齢」から始まったらしいが、その徴兵制もなくなった現在の日本では、20歳になって変わることといえば選挙権を持つ事と犯罪を犯せば実名で報道されるって事ぐらいか。その「選挙権」も意識が低くなり、犯罪に対する罪悪感も希薄になれば、自ずと「成人式」の意味など当人達にとっては無いに等しい。まして、少なくても彼らの半数は「大学生」であり、少なくても自分が学生時代には大人とての責任や義務は感じていなかったと思う。
元服式でさえ、12〜15歳という年齢巾があった。これが現代でいう19歳〜24歳ぐらいとすれば、高校卒業ぐらいですでに「大人」になるものもいれば、社会人になってもまだ「子供」がいると考えるのが自然である。むしろ、20歳では全体の2〜3割しか「大人」がいないのが当たり前なのだ。それを、いかにも日本人が好きな「みんな一緒」という変な平等意識で「20歳を成人」と見るのには無理があると思う。
さて、仙台市の成人式では当然ながら集まった人のうちの「大人」である2〜3割程度しか会場内にいなかったようである。どっかの教授が怒ったとかばかり報道されているが、割合から見ると妥当な線ともいえるんじゃないですか?
まあ、客観的に見てみれば成人式に集まった「新成人」も相当に情けないことは間違い無いけどね。日頃「個性」だの「自由」だの言ってる割には、「お役所主導」の成人式会場までわざわざ「時間どおりに集合」して、集まったはいいが「役所の行事はつまらん」とばかりに「携帯」と「写真」だけしかやることがない。あんたらの個性ってのはそんなもんかい。
最初から「伝統」や「形式」を否定するならそんなところに行かなければいいと思うのだが、わざわざ出向いていってるのは、自分達の「企画力」の無さ故か?少なくても、招待されて会場に行ったからには、主催者に礼を尽くすのが大人ってもんである。
「成人式」は人生の大きな節目の儀式だと思う。同窓会は何回でも開けるが、冠婚葬祭は元々は一度きりの儀式である。まあ、最近では「婚」は複数当たり前だけど。日常生活を楽しくやることは否定しないし、毎日毎日堅苦しい考えで暮らせなんて野暮は言わない。でも、日頃遊んでいても、節目にきちっとできない奴社会に出ても「駄目」である。
ちなみに、仙台市の成人式で一番笑えた記事は、「成人式会場の近所で羽織袴で立ち小便していた奴がおり、市の職員が平謝り」って奴だった。家紋の入った衣装で立小便する罰当たりな奴もお笑いだが、「成人式」ですよと招待した「大の大人」の不始末を「平謝り」してる市職員も大馬鹿野郎である。
1月15日に行われる成人式は今年が最後である。来年の成人式は第2月曜日の1月10日となる。ある意味で今年の成人式は、「成人式」という、ものを考え直すいい機会になったということだろう。来年からは今年の「商品券配布」で得たノウハウを使って、新成人に「お年玉商品券3,000円」でも配り、「いろはにほへと」あたりで勝手に成人式やって貰った方が、お互いのためだと思うが。
今日の教訓:ちなみに私は成人式に行ってません。夜は・・・飲んでました。
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