9月22日(火)


言葉ってのは、一つ間違えると相手に不快感を与えるだけだと思う。例えば本人は心配しているつもりで話をしても、言い方を間違えると相手にとっては単なる大きなお世話になってしまったり。

昨日の夜、母のところに親戚から父の病状の事で電話がかかってきたらしい。父の手術内容を母から聴き、「父には長生きしてもらわなと困るんだから、ガンの部分切除ではなく全摘出をするように医者に言え」と言い放ったらしい。

長生きしてもらいたいのは、言われなくても私たち家族にとっては当たり前のことだ。だからと言って本人の意向や本人を直接診察している医師の意向を無視して診療方針にまで口を出すのはどうかと思う。ましてや、ほんとうに心配して夜もろくに眠れないでいる母に対して、そういう発言をする事自体が無神経だと思う。

全摘出をすれば、言葉を失い、喉にチューブを入れることになる。部分切除ならばある程度の声は残り、食事や風呂も普通にできる。喉頭ガンは転移が少ないそうで、ましてや父の年齢から考えると、進行も遅いだろう。部分切除で全快する保証はないが、全摘出で再発しない保証もない。

そう言うことを総合的に判断して、最終的には父の意向も汲んで今回は部分切除を選択した。私は父の考え方が理解できるから敢えて反対しなかった。話をしたり食べたり温泉に入ったりという楽しみをすべて捨てて10年生きるよりも、普通の生活をして7年生きられるほうが、よっぽど「人間的」であるからだ。これがまだ30代の私だったら、処置法も変わるだろう。けれど、父はもう70代、楽しみをすべて奪って延命する年代ではないと思う。父もそう思っているはずだ。

その昨夜の出来事を聞きつけた別の親戚から今朝、私宛に電話があり、「午前中に会社から電話がほしい」との事。会社に着いてから電話をすると、前日の電話に至った経緯や、本人は心配していたんだが言葉が足らず母を怒らせてしまったこと、アメリカにいる専門医をしている従兄弟の考えや、父の兄弟の考え方を語ってくれた。そして、今、冷静に判断できる私が、「あの時こうしておけば良かった」と後悔しないような選択をしなさいと話して電話を切った。

私は後者の方が「大人の行動」だと思う。きっと皆んな同じように心配してくれているんだろうけど、結果として一方は余計なお世話に聞こえてしまう。

父も母も私も、この選択を決して後悔しないだろう。私は父の楽しみである焼酎を飲むこと、刺身を食べること、蕎麦を食べること、温泉に入ること、そして何よりめぐみや雄太と会話することを奪いたくはない。人生ってのは、決して長く生きることだけが幸せではないはずだから。


今日の教訓:電話は真意を伝えるには遠すぎる。


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