7月27日(月)

またまた無差別殺人である。新聞では町内に恨み持つ奴か愉快犯なんて見方してるようだが、要はりっぱな殺人である。

実は同じ25日、うちの町内会も夏祭をやっていた。残念ながら雨にたたられてしまったが、それでも子供たちは大喜びで御神輿を担ぎ、屋台の金魚すくいや水ヨーヨーに一喜一憂し・・・昔から変わらない子供の姿がそこにはある。夏祭の主役はそこに住む子供たちなのだ。

今回の犯人は意図したかどうかは知れないが、町内のお祭りをターゲットにしたという事で、結果として「子供を中心に殺そうとした」と考えざるを得ない。このような子供を対象にした殺人や誘拐は、同じ子供を持つ親としては許しがたい。亡くなった4人の人たちにどんな罪があったというのか。特に小学校4年生と中学校1年生の子供を失った親の気持ちを考えると、例え犯人にどんな事情があるにせよ、情状酌量の余地を感じない

先日は7ヶ月の子供を放置して殺した母親もいたが、普通は親は子供の成長する姿を楽しみに生きているわけで、中学校1年生の子供を失った親などは、16年間もの思い出が詰まっている分、失った時の気持ちは耐え難いのではないだろうか。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉もあるようだが、もし、私がこのような親の立場になったら、一生犯人を許す事はないだろう。このような無差別殺人は、犯人が誰であれ、重罰を科すべきだと思う。「捕まった犯人の人権」なんてすぐ騒がれるが、抵抗できない子供を無差別に殺すような行為は、人間としての存在を自ら否定した行為であり、このような奴に「人権」なんか認める事が、果して法の下の平等と言えるのであろうか。

町内のお祭りなんてものは、いままでは食中毒を除けば、何の気兼ねも無く参加できる行事だったと思う。それなのに、今後はこの事件のせいで「お祭りは危険だから・・・」なんて事になれば、地域の行事からどんどん子供の姿が消えていってしまう。子供の声が聞こえないお祭りなんてのは、やる意味がない。

最近は「人の命」があまりにも軽い。昔からお祭りなんていうと、近所の悪ガキが軽いいたずらや、喧嘩などはしたものだが、これほど簡単に人の命を奪うような事までは起きなかった。ちょっとした物欲しさや、ちょっとした事で人の命を奪う・・・いまや日本における命の値段は、株式相場以上に低下しているのではないだろうか。法律では定めていない、社会の最低限のルールである道徳教育の欠如がこういう事件を起こしているのではないか。

昨日、私が一番印象に残っている映画、The Killing FieldをNHK教育で放映していた。ベトナム戦争の実際に起こった話を映画にしたものであるが、その後半に、クメール・ルージュのあるリーダーの子供がカンボジアから脱出しようとして、途中地雷に吹き飛ばされ、息絶えてしまうシーンがある。

今回の事件は、地雷が青酸化合物に変わったようなものである。日本では営利誘拐は重罪だが、果してこういう無差別殺人に対する危機管理、処罰は十分なのだろうか。サリンにしろ青酸化合物にしろ、無差別殺人の犯人は、街のあちこちに地雷を仕掛けて待ち受けているのである。そして、自分や自分の家族が、その地雷を踏まないという保証はどこにもないのだ。

亡くなった4人のご冥福をお祈りするとともに、犯人が早く捕まる事を願いたい。

今日の教訓:子供の笑い声が聞こえないような国に未来はない。

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