永遠に秘密

030707



息が、苦しい。

水野は夢の中にいた。たまにこうやってはっきりと「夢」を見ていると自分で分かる時がある。真っ青な空が広がって、それは普段学校のグラウンドのど真ん中から見上げる光景そのままだったけれど、最初から夢だとちゃんと分かっていた。
日射しはぎらぎらと照りつけてホントだったら汗が吹き出すような暑さだと思う。けれど夢の中での体感温度は自分の願望をそのまま反映したかのように春の日射しの中のように心地よく、水野は誰もいないその大地にごろりと寝転んでいた。
風が時折頬を撫でるように吹き抜けていく。
眩しい日射しに目を細める。暑くはないけど、その幾分暴力的な日射しよりも日陰が恋しいと思ったところで急に世界は色を変えた。
さわさわと葉ずれの音が耳元でハーモニーを奏でる。グラウンドだったその地面は気付くと草むらに変わっていた。眩しい太陽を遮るように大きな樹の枝が幾重にも覆い重なる。目を見開いてももう眩しくない。大丈夫。
背中に感じる土のひんやりとした感触が心地よくて水野はうーん、と背を伸ばした。
「まだかな」
ふいに口をついた言葉に水野は首を傾げる。
まだ?何かを待ってるのかな、俺。
気持ちよくて寝転がっていただけだと思ったのに。
何度も首を傾げて、けれど思い出せない。そうこうしているうちにふいに息が苦しくなった。

「……っぷは!」
飛び起きた拍子にごつんと頭に固いものがぶつかった。
「痛っ!」
「おわっ……!痛いやんけ!」
「あれ、シゲ?」
目の前で額を押さえているシゲを水野はまじまじと見つめた。ちょっと涙目になってる。
「いきなり起きるなや!」
「……俺、寝てた?」
周りを見渡す。そこはシゲの部屋だった。いつもと変わらない古びた畳。部屋の隅に投げ出されたシゲと自分の鞄。窓の外は夕暮れをとっくに通り越してとっぷりと暮れていた。
「いつから寝てたん」
シゲに問われて水野はじんじんと痛む額を押えながらゆっくりと記憶を辿った。
「……えっと、補習終わって、それから部室よって、それから…」
思い出した。
それから、校庭の隅をぐるりと回って、帰りに近くの公園を覗いて、一度自分の家に寄って、それからここへ来たのだ。
「…お前こそ何処行ってたんだよ」
思わず声が凄むように低くなるのは決して自分が悪いんじゃない。
「ん?ああ、まあいろいろ」
いつもの笑みで誤魔化そうとするシゲの頬を水野はぐいっとつねりあげた。
「痛てててて!!こら!何すんねんボン!」
「ボンって呼ぶな!」
なんでこいつはこんなにカンに触ることをいちいち言うんだか。
「……お前、今日の補習、3年生は全員参加なのに出てなかっただろ」
「ああ、そんなん受けてもしゃあないし」
「……ずっと、探したんだぞ」
ぽつりと水野は呟いた。
補習に出ないだろうとは予想していたが、終わってから何処かにいるんじゃないかと思って思い付いたところをいろいろ捜しまわったのに全然姿がなくて。
家に上がりこんでいるかと思ったのに母親は知らないというから、最後にこの部屋に辿り着いて、主人のいないこの部屋で一人ぼーっと暮れてゆく日を眺めていたんだ。
「どしたん」
俯いてしまった水野の額にシゲの指が触れた。落ちる髪をすくいあげるかのようにさらりと撫でる仕草は、彼の悪い口とは正反対に優しくて。
水野は黙ったままポケットに手を突っ込むと、掴んだ小さな袋ごとシゲのポケットにねじ込んだ。
「何?」
「……お前、全然勉強しねーし、そんなヤンキーな格好だから」
神頼みくらいしといた方がいいんじゃないの。
ポケットに押し込まれた小さな紙包みを開けると、青いお守りが入っていた。白い糸で学業成就と刺繍された小さなお守りは水野が自分の部屋の机に置いてあるものと同じだった。
「……今日、誕生日だろ。おめでとう」
「もしかして誕生日プレゼント?」
俺、マウンテンバイク欲しいってゆうてなかったっけ、と言った途端に見事な左の蹴りが飛んで来た。
「おわっ!危な!」
「そんなもん買えるわけねーだろ!っていうか何で俺がお前にそんなモン買ってやらなくちゃなんねーんだよっ!」
「あははははー」
まあ本気で言っていたわけでもないが、それにしても。
「色気もへったくれもないプレゼントやけど、まあせっかくやし、ありがたく戴いておきます」
「素直に礼言えねーのか!」
「だからありがとうて言うてるやん」
内心、神様なんてアテにならないと思ってたりするけれど。
「いつ買いに行ったん?」
「先週の、…っていつだっていいだろ」
くそ真面目な奴だから、きっといろいろ考えたに違いない。その姿を想像するだけで可笑しかったからシゲは笑いながらそのお守りを自分の小さな机の隅に置いた。
水野の部屋のそれと、同じような位置になるように。
「おおきに」
「ん。じゃあ俺、これで帰る」
「そか、送ろか?」
「別にいいよ。オンナじゃあるまいし」
時計を見る。もう結構な時刻だ。これからお風呂に入って宿題をやっていたら零時を回ってしまうに違いない。救いはさっきまで大分眠っていたからすっきりと目が冴えていることだ。
「目覚めは悪かったんだけどなー」
「ん?何や」
「さっき、お前が俺を起こした時、夢の中なんだけどすっごい息苦しくてさ、やばい!と思ったら目が醒めたんだ」
水野は額を摩った。まだちょっと痛い。赤くなってると恥ずかしいから気持ち前髪を下し気味に引っ張った。
「じゃあな」
靴を履いて振り返ると、シゲが懸命に笑いを堪えていた。
「……なんだよ、見るなよ」
額を手で隠す。そんなに赤くなってるのか?
「いや、……おおきに」
「?」
首を傾げる水野をシゲは笑いを堪えて見送った。小走りに帰って行く。額を押さえていたから、きっと赤くなっているのを笑われたと勘違いしているのかもしれない。
「息苦しいて、そら当たり前やな」
部屋に戻った自分を待っていたのは、気持ちよさそうな顔をしてすやすやと眠っている子供が一人。
そっと近付いて、頬をつついた。けれど目を覚まさない。
「おーい」
軽く呼び掛けて揺すっても、目を覚まさない。
だから、そっと口吻けた。
「ま、内緒にしとこ」
二つ目のプレゼントは、永遠に秘密。