非天然色の憂鬱

030116



「そろそろ目エ覚まし」
柔らかい声に惹かれるように水野は薄目を開いた。
僅かに霞む視界の中央に最初に飛び込んできたのは、お得意のちょっと意地の悪い笑顔を浮かべたシゲだった。
今囁いた声とは裏腹なその表情に水野は憮然とする。
「何、痛い?」
「馬鹿、変なこと聞くな」
「変なことちゃうやん?」
するりと侵入してきた指に水野は思わず悲鳴を上げた。まだ先程の残滓でぬるりとするそこにシゲの指が埋まってゆく。
「やっ……!」
「痛くない?」
声が笑っている。内臓をひっくり返すような衝撃で下腹部への鈍痛は確かに残っているが、表面上にはっきり現れる傷や痛みなどないのは知っている癖に、シゲはさらりと嘘を口にする。
まだ神経の尖ったままの箇所を濡れた人指し指の腹で擦り上げられて、水野は息を飲んだ。
だめだだめだ。
「……これからサッカー観るっていってただろ!」
「あ、そうか」
時計を見上げたシゲはその言葉に素直に指を引いた。高校サッカーの決勝戦はもうすぐだった。
「何時やっけ」
「あと1時間後」
着替えて今いるシゲの部屋から自分の家に行って、買い替えたばかりの大きいワイドテレビを二人で占領してポテチとコーラ片手に観戦する。予定はばっちり。
なのに。
「もうちょっとええやん」
ぐいっと布団の上に引き戻される。腕を引っ張られ、肩甲骨から倒れ込んだせいで受けた軽い衝撃に水野は眉を顰めた。
長い金髪が水野の頬を撫でる。そのまま降りてきた口吻を水野は避けられなかった。
避ける気があまりなかったというのが正しいのかもしれない。押し付けられる唇は微かに湿りを帯びていて、その柔らかさと甘さの誘惑に水野はついぞ勝てた試しなどないのだ。
「ん……」
指先に金髪を絡めるようにして水野はシゲの首に腕を回した。最初会った時は酷く恐かったこの金髪も、見慣れてしまえば何のことはなかった。それどころか今は、自分の視界から消えてしまう日を仮定するだけでも恐い。この存在が、何処かに消えてしまうことが。
「……今日は怒らへんのな?」
水野の唇を指でなぞりながらシゲが笑った。見上げたシゲの唇も透明な唾液でてらてらと濡れていて、水野は軽い目眩に頬を染めた。
「家までダッシュだぞ」
走れば半分の時間で帰れる。水野の提案にシゲは頬を綻ばせ頷いた。
「今日は優しくて恐いわ。俺、誕生日でもなんでもないで」
「知ってるよそんなこと」
水野は窓の外の空を見上げた。冬のグレイがかった雲からはまるで霧雨のような微かな雨が落ちてきていた。
水野の視線にシゲも窓を見やる。
「あ、雨?」
「うん。さっきからパラパラと。すぐ止みそうだけど」
殆ど音もなく世界を濡らしてゆく雨に二人は僅かに押し黙った。
「濡れるかな」
「傘あるよ。でも大丈夫だろ」
「そやな」
空を見上げたままでシゲが返事をした。
シゲはよく何を考えているのか分からない表情をすることがある。そして一人で考えて何でも簡単に飛び越えていく癖に、何故だろう。
雨の日だけは、独りの寂しさを抱え込んで蹲っているように見えるのは。
だから、思わず何処にも行くなと指を伸ばしてしまうことは、絶対に言わないけれど。

シゲの金髪から、微かに雨の匂いがした。