ああもう。
Mio.Tsukitoh
今日何度目かの溜息を水野はわざと大きくついた。勿論、聞かせるのは机の向こうでぼーっと寝転がっている金髪。
そもそも、「月曜からのテスト勉強をしたい」なんて天から槍が降りそうな台詞を呟いたのはこの男なのに、勉強をはじめてたった半日でこのざまだ。
「……おい、シゲ」
「あ、2時22分」
「……それがどうしたんよ」
「ゾロ目や」
「……」
ここまでくると溜息すら出ない。
水野は広げていた英語の教科書をばたりと閉じた。
「何やの、たつぼんも休憩?」
「……もーお前帰れ」
「は?」
「……てめえがいると落ち着いて勉強出来ないんだよ!」
水野は広げっぱなしのシゲの教科書を持主に思いっきり投げ付けた。
「痛っ!何すんねん」
「痛いじゃねえ!寝るだけだったらとっとと寺に帰れ!」
「あら、たっちゃん、何騒いでるの?」
出て行け、と指し示した扉から顔を覗かせたのは母親だった。
「まあ、指なんか指して。たっちゃん、お行儀悪いわよ」
違うと首を振って否定する息子の話など、最初から聞く気もない母親は、ちょっと早いけどおやつ持ってきたから、と机の端にトレイを置き、にこりと笑った。
「これもちょっと早いけど、おなかすいたでしょ」
銀色のトレイの上には、湯気をたてたティーポットと、可愛らしいケーキが二つ。
「今、お隣から丁度戴いたから。シゲちゃん、今日の夜はご飯食べていっても大丈夫?」
「もちろん」
「良かった、今日はたっちゃんの誕生日なの。美味しいもの沢山用意するから、一緒にお祝いしてね」
はーい、と元気よく返事をするのが何故息子ではなく息子の友人の方なのだろう、と思わないのか。母は、ケーキは別にちゃんとしたのを用意してあるから、と付け加えると忙しそうに階段を降りていった。
そういえば、ほんのりと牛乳を煮たシチューの匂いが残っている。夜には食卓のテーブルに乗りきらないほどの料理が用意されるに違いない。想像すると、ちょっとだけくすぐったい気分になった。
「真里子ちゃんの手料理、楽しみやなー」
「……お前、最初っからご飯食べてくつもりだったんだろ」
横目で睨み付ける。やっぱり、勉強なんて言い訳信用するんじゃなかった。
けど、これもいつものことだ。諦めたように水野は息をつくと、ティーポットから二人分の紅茶を注いだ。甘い香りが部屋に立ちのぼる。
「いただきます」
小ぶりなケーキをフォークで一口大に切る。水野の好みよりちょっと甘めなそれは、けど勉強で疲れていた身体には美味しかった。
「これ、美味しいなあ」
隣のシゲはたったのふた口で平らげていた。
「うん、隣のおばさん、すっごいケーキ好きだから」
水野も最後の一切れをぱくりと口に放り込んだ。この甘さにはストレートの紅茶で丁度いい。
紅茶を飲み干すと、シゲが隣で小さく肩をゆらして笑っているのが分かった。
「……何だよ」
「口んとこ、ついとるよ」
伸ばされた手が水野の口のすぐ脇を拭った。
「ホンマおぼっちゃんなんやから」
「なんだよそれ」
喉元まで出かかった「ありがとう」という言葉が一瞬にして消えてしまった。ああもう。
「今日が休みの日で良かったなあ」
んー、とまるで猫のように背を伸ばしてシゲが呟いた。
「…なんで?」
「こーしてのんびりして、夜は美味しいご飯食べれるから。たまにはええやん?」
なんもあげるもんとか用意してへんけど、おめでとさん。
いつになく優しい笑顔でそんなことをいうから。
「……もしかして、知ってた?」
今日が、誕生日だってこと。
けれどその問いにはシゲはただ笑って答えなかった。
「さ、勉強しよか?」
ようやく机に向かったシゲがふい、と水野の頬に顔を寄せた。
ほんの微か、羽根が触れるようなキス。
驚いてシゲを見た時にはシゲはもう真面目に教科書に向かっていた。
仕方なく水野も教科書に目を落とす。けど、微かに唇が触れた頬が酷く熱くて、気にしないと思っても、反比例のようにどんどんと熱は上がって仕方ない。
これじゃ、勉強どころじゃない。
ああもう。