原題
GLORY ENOUGH FOR ALL
The Discovery of Insulin
邦題
インスリンの発見
Produced
by
Gemstone Production Limited in association
with
Primedia Productions Limited
作成:
1992年・カナダ・TV映画
監督:
エリック ティル
(Eric Till)
脚本:
グラハム ウッズ
(Grahame Woods)
配役:
Dr.フレデリック・グラント・バンティング
・・・R.H.トムスン
(R.H.Thomson)
チャールズ・ハーバート・ベスト
・・・ロバート・ウィスデン
(Robert Wisden)
J.J.R.マクラウド
・・・ジョン・ウッドビーン
J.B.コリップ
・・・ミシャエル・ゼルニッカー
アントワネット・ヒューズ
・・・マーサ・ヘンリー
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人間の弱さと大志が見事に織りなされたこの物語は、1920年代初頭のインスリンの発見についての真実(ノンフィクション)です。
バンティングやベストやマクラウドやコリップらによって、エリザベスや他の何千人もの1型糖尿病(IDDM)や多くのインスリン依存状態(1.5型、2型糖尿病等)の患者を救う物質が研究され発見されるのです。
絶対的枯渇に至る「劇症1型糖尿病(Type-1B)」
及び、
相対的機能不全に至る「急性1型糖尿病(Type-1A)」の
1型糖尿病患者は、
インスリンが無かった時代、100%発症後短期間で全員(Type-1Bは数日から数か月以内、Type-1Aは数年で)死に至っていました。
そのため、
この映画「インスリンの発見」の物語の患者は
2型糖尿病の 一タイプ
Type-2d「インスリン欠乏性2型糖尿病」
及び
Type-2s「インスリン受容性2型糖尿病」などの
=抗体を抱える1.5型糖尿病の
Type-1A 患者の病態をストーリーとして用いています。
特にType-1Bの劇症1型糖尿病は、あっという間に患者は死亡するため
映画のストーリーにはなり得ません。
ですので、エリザベスやトンプソン少年等は、インスリン依存状態2型糖尿病であって、1型糖尿病患者ではありませんのでご注意ください。
抗体を抱える2型糖尿病や、主病や遺伝が強く影響している場合、
正しい食事や
適度な運動などの生活習慣の改善と持続、
薬物は
高血糖是正や
合併症防止のためであり、
治療の一手段として
経口血糖降下剤や
インスリン等を用いていることを
正しくご理解ください。
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(エピソード 1.)
1920年、ウォーレン・ハーディング大統領下の合衆国国務長官チャールズ・エバンズ・ヒューズの若い娘エリザベス・ヒューズ(1907年生まれ)は重度の糖尿病で急速に衰弱し死に直面している。(この時13歳)
彼女や世界中の他の何千人もの患者のための治療法はない。
彼女の余命は1年未満だが、厳しい食事療法と運動で長く生きる望みはまだある。
カナダ陸軍医療班。
1914年から1918年まで続いた世界大戦の悪夢から帰還したフレデリック・グラント・バンティング(1891-1941)は病院での仕事を探している。
だがトロントの病院で彼の経歴は認められず、バンティングは婚約者が教師をしているオンタリオ州ロンドンで小さな診療所を開業する。
1920年の秋、地元オン夕リオ・ウェスタン大学で医学生のために炭水化物の代謝についての講義の準備をしているパンティングは、それに関連した致死性の糖尿病の障害をコントロールする可能性を考え始める。
つまりIDDM(インスリン依存型糖尿病=1型糖尿病)である。
当時糖尿病は食物を同化できない事から起きる病気だと考えられていた。
さまざまな研究者たちは、消化酵素を腸(の内部)に分泌する膵臓が、栄養素を代謝させる別の分泌物を生産するに違いないと推測するようになる。
動物から膵臓を取り除くと炭水化物を同化する能力がなくなり、血液中と尿中の糖濃度が急速に上昇し、すぐに重度の1型糖尿病(IDDM)で死に至る。
バンティングは膵臓の輸送管を結紮することで膵臓の内分泌液を分離できると提案する。
彼はこのアイディアを母校トロント大学に携えて行く。
そこには炭水化物の代謝についての世界的な権威である生理学博士ジョン・ジェームズ・マクラウド(1876-1935)がいる。
最初は懐疑的だったが、1921年の夏、マクラウドはしぶしぶ研究室と何頭かの犬を提供する。
学生のチャールズ・ハーバート・ベスト(1899-1978)が化学実験の助手として指名される。
その夏バンティングとベストは多くの困難を経験するが、まもなく彼らの研究は目覚ましい成果を生み出したことに気づく。
輸送管を結紮した犬の膵臓から得た物質により、彼らは膵島が破壊された1型糖尿病(IDDM)の犬の血糖値を下げ、他の症状も取り除くことに成功する。
(エピソード 2.)
エリザベスは衰弱し続けている。
母アントワネット・ヒューズは絶望のうちに治療法を捜し求めている。
1921年秋、マクラウド教授は休暇から戻る。
バンティングは膵臓の分泌液で膵島が無くなったIDDM(1型糖尿病)の犬を生かし続けることに成功し大喜びしている。
1921年から1922年にかけての冬、バンティングは膵臓の内分泌物についての最初の論文を発表し、人間への実験に意欲を見せる。
マクラウドは生化学者バートラム・コリップ(1892-1965)をインスリンと名付けられた分泌物の研究に割り当てる。
エリザベスの医者(フレデリック・マディソン・アレン、ニューヨークの専門医)は彼女を救うことができず、(今や1日500から1000カロリーの食事制限により体重が24キロにまで減っている)ヒューズ家をバンティングのもとへ送る。
エリザベスは実験に同意し、新しい治療薬を試した最初の患者の一人となる。
数週間で彼女はほぼ日常の生活に戻ることができるようになる。
(1907-1981年 エリザベスはミシシッピー州バーミンガムで亡くなる。・・・74歳の大往生)
1923年末、インスリンの発見によりバンティングとマクラウドにノーベル賞が授与される。
しかしバンティングは、マクラウドを受賞に値しないと強く感じ、賞をベストと分け合うと発表する。
一方マクラウドは、賞をコリップと分け合うと発表する。
だが、ジョンズ・ホプキンズ病院のレウェリス・パーカー博士はこのように述べる。
「インスリンの発見では皆が十分に名誉ある受賞者なのだ。」
・・・GLORY ENOUGH FOR ALL
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