1973年
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昭和48 | ●日本では昭和40年代には一部の小児科医によって一部の患児に対し生命維持としてインスリンを保険外で用いられていた。(長野県方式を含む) ・・・熊本県小児糖尿病を守る会に対し昭和48年(1973)厚生省の山口政務次官は、「難病指定はその方向で検討し,インスリンの自己注射と家庭注射については,生命を守ることが優先であり,違法ではない」という見解を示した。 本間注:しかし・・・特定疾患対策事業スタート当初に現・1型糖尿病を難病認定と検討を約束したその後も、親の負担時である子供(1型2型に関わらず)のみに対する小児慢性特定疾患事業に上手く取り込まれ、根本の内部臓器の自己分泌能が破壊・廃絶に至る1型糖尿病やその他の重病化する糖尿病の「難病」認定は、日本医師会、日本糖尿病学会等の無理解で以降も取り残され続けています。 (参考)インスリン自己注射の必要性 ・・・1921年(大正10年),奇跡の薬インスリンが発見され,1922年(大正11年)1月,この薬は人類の糖尿病に初めて使用され,もしインスリンの発見が無ければ,当然たちまち死ぬはずであった1人の糖尿病小児は生を与えられたのであった。このインスリンは1日も休むことなく注射される必要があり,経口的に使用したのでは全く無効であった。糖尿病は治癒可能なものでなく,コントロール可能の病気であることは言うまでもない。 若年型糖尿病患者(現1型糖尿病)にとっては,インスリンの中止は死を意味する。 糖尿病患者の治療目標が,健康者と変わりない活動的な日常生活を,健康者と同様に長期間にわたって確保することにあることは言うまでもない。 このように考えると,インスリン注射の必要な患者は自己注射の方法によってインスリン療法を続けるのでなければ自分の生活をもつことはできない。インスリンは注射によってのみ有効である。もし,注射行為が医師のみしか行えないとすれば,人生の数十年あるいはそれ以上の長きにわたって常に医師の近くに生活しなければならないし,食事の時間はどの時刻に医師が注射をしてくれるかによってきびしく規定される。 このような不合理なことがあってよいはずはなく,日本を除くすべての文明国においては,インスリン療法に限って自己注射を当然のことがらとして認めているのである。 なぜ,日本に限ってインスリン自己注射の必要性が理解されなかったか・・・ ・・・昭和48年3月,熊本県小児糖尿病を守る会が発足した。 本会の目的は小児糖尿病患者の父母を中心として結成し,日糖協と連携を保ちつつ,子供の育成と治療に万全を期し,国および県の経済的援助と公費負担の実現を期することを目的とするものであった。 同年5月,同会の代表5名と三村悟郎助教授(現琉球大教授)は,厚生省の山口政務次官を訪ね,「難病に指定してほしいことと,家庭内のインスリン自己注射を公けに認めてほしい」と陳情した。 同次官は「難病指定はその方向で検討し,インスリンの自己注射と家庭注射については,生命を守ることが優先であり,違法ではない」という見解を示した。・・・(文責)熊本大学:三村悟郎助教授(現琉球大教授) (平田幸正 インスリンの健保給付問題に関する日本糖尿病協会の歩み より抜粋) ●社団法人日本医師会(常任理事澤 倫太郎)の認識: 難病対策委員会議事録(平成14年5月)より・・・最後のカラムで、(難病対策に)なじまない疾患についてのところですが、これちょっと1点お伺いしたいことがありまして、母子保健のほうも私やりますものですから、IDDM小児慢性事業のほうで、これが確か難病でもなんでもないのですが類縁にもなる 受け皿がなくて、今まで小児と認定されている間は保障されて成人になってくると途端にポーンと放り出されることになるので、患者さんは大いに戸惑うことになる。このへんのところをこの委員会との調節、相互理解をしなければいけないというふうに向こうの委員会でも言ってきたのですけれども、なかなか今の状況を考えるとこれはまた更にやるのは大変そうですね。そう向こうに言っておきます。 ●我が国においては「福祉元年」とされた (社会福祉・社会保障がようやく整備されはじめた)。
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